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なぜイチローの名言は心に響くのか? 努力が生んだ天才の引退。

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もう皆さんとっくにご存知の通り希代の天才打者「イチロー」選手が引退を表明しました。個人的にはイチローまで「野球選手を”卒業”します」とか言い出したらどうしようかと思っていましたが、流石にイチローさんに限ってそんなアホな言葉は使いませんでしたね(笑)。

 

さて、イチロー引退のニュースが流れた最終試合の後に行われた記者会見ですが、そのイチローの記者会見を見て感じたことがあります。それは

 

イチローの言葉選びのセンスの良さ

 

です。

昔からイチローの発言の多くは「イチロー名言録」というように評されます。

既にニュースなどで皆さんご存知かと思いますが、今回の記者会見でもイチロー流の簡潔だけど奥の深い言葉がいくつも出てきました。ただ、私はそんなイチローの発言一つ一つを取り上げて有難がることにはあまり意味がないような気がするのです。


イチローが注目されるのは天才だからではない

そもそもスポーツ新聞などはイチローを「天才打者」だと持ち上げていますが、イチローが単なる天才(って言葉あるのか?w)であれば、これほど国民から篤い支持を受けることはなかったと思います。
確かに彼には天賦の才もあるでしょう。
しかし、多くの日本人がイチローに見たのは、自分の目標に対して脇目も振らず、ただひたすらにバットを振り続ける"ひたむきな努力家"としての姿だと思います。

 

あれだけ数々の大記録を打ち立てたのですから、普通の人間ならもっと天狗になっているでしょうし、それこそゴシップ記事のネタになりそうな行動をとっていたことでしょう。でも、イチロー選手にはそれは全くありませんでした。

どれだけの大記録を打ち立て周りが大騒ぎしても、本人は我関せずとばかりにひたむきに野球選手としての練習にコツコツと打ち込んだ。そしてさらに自分を乗り越える記録を次々に生み出す。

 

多くの日本人は彼の記録や業績以上に、ある意味「自分のため」という我欲を超えて、野球という自分が愛した物に打ち込む職人のような姿にこそ心を打たれたのだと思います。

もちろん、それは平坦な道のりではありません。

特にここ数年は選手としてのポテンシャルにも低下が著しかったのは周知の通り。しかも、去年マリナーズの「球団会長付特別補佐」という、試合には出ないがマイナーリーグへの降格や戦力外ではなく、常にメジャーの練習に参加して野球を「研究」しながら、若手選手に技術指導をしていくという珍しい立場についた時、日本でも「イチローは引き際を知らない」「後進に譲って早く退くべきだ」というような批判が目立ちました。それはマリナーズの地元でも同じで相当厳しい批判の声が上がっていたようです。

 

実際イチロー選手も去年の5月からのそのような状況での孤独との戦いで、「こんな風に静かに自分の野球人生は終わっていくのか・・・」と思ったこともあったそうです。

恐らくそのような「孤独な戦い」はアメリカという異国の地に渡ってからも何度もあったでしょう。しかし、そのような我々からは計り知れない厳しい環境の中でも、常に前だけを見据えて努力を続けた結果、”努力によって自らを天才に仕立て上げた男”、それがイチロー選手であり、国民のスーパースター”イチロー”だったのではないかと思うのです。

 

イチローの言葉で重要なこと

そんな努力する天才・イチローですが、メディアは何かと彼の言葉を取り上げて、「名言録」などといってもてはやします。また、ビジネス書なんかでは「イチローの手法や考え方はビジネスにも応用できる」みたいな、陳腐な取り上げ方をします。

 

ですが、私はそんなことには何も意味がないと思っています。なぜなら、イチローの言葉に力があるのは、単純にその言葉自体に意味があるからではないからです。

彼の言葉に力があるのは、周りの質問の意図と自分の姿や行ってきたことを客観的に見つめ、その間を結ぶのに相応しい言葉を選んでいるからこそです。

つまり、その時々の成績や物事の流れ、インタビュアーやチームとの関係性に対応して彼の言葉は変わるのですから、その時々の言葉を抜き出したところで本質には全く関係ありません。

 

本来重要なのは彼の言葉そのものではなく、なぜイチローがその時その言葉を選んだか?その言葉を発することでイチローが伝えたいこと。そして、その背後にある彼の哲学にあるのです。

 

イチローの凄さは”真理”に努力で到達したこと

ちなみに、今回のインタビューにしてもイチローが発した言葉自体は、それ自体が特別なものであるとは私は思いませんでした。私は「宮本武蔵の”五輪の書”と同じだな」と思いましたが、宮本武蔵を持ち出すまでもなく昔からの古典を紐解けば同じような言葉はいくらでも出て来ます。

 

でも、それだけだと「イチローなんて大したやつじゃないよ」ということになってしまいますね。もちろんそんなことはありません。

私が「イチローの凄さ」を感じるのはそんな言葉の一つ一つよりも、野球というものに誠心誠意打ち込むことで古代の偉人たちが見出してきた真理に独力でたどり着いたことこそが、イチローの凄さだと思うのです。

先程「イチローの言葉と同じような事は古典を紐解けばいくらでも書いてある」と言いましたが、私たちはそれを読むことで知識として知ることはできます。しかし、イチローは自らの経験と努力の中で、その真理を”体得”した。この2つには雲泥の差があります。

 

「(知識として)知っていること」と「(応用可能な形で)理解している」ことは、似ているようで全く違います。私を含めて多くの人は知ったことで安心して、その奥に潜む意義や真理に到達しようと努力することはなかなかありません。それをイチローはこの30年近くの努力の中で成し遂げた。

「努力をすること」自体は誰にでもできます。

でも、その努力のためにある意味「自我」を乗り越え、その努力する対象に全てを捧げるそのような「努力を超えた努力」に打ち込むことこそが、誰にも真似ができない偉業である。その真摯な姿にこそ日本人の多くが心を打たれた。

それを感じ取っているからこそ、イチローの言葉は私達の心に響くのではないでしょうか。

 

イチローの言葉に意味がないとか、そんなことを言いたいのではありません。

ただ、その言葉そのものよりも「イチロー」という人間の生き方、哲学にこそ、私達が学ぶべきものがある。そのことを真摯に受け止めることこそが、イチローという希代の天才打者に対する最大級の敬意を示すことになるのではないかと思うのです。 

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆