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民主主義とは何か? 過去、現在、未来を繋ぐ交点としての自分

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さて今回は記念すべき(??) オルテガ・イ・ガセットの「大衆の反逆」のレビューの3回目です。

20世紀のスペインの哲学者、オルテガが書いた「大衆の反逆」。これは20世紀前半に書かれた本ですが、現在の日本や世界の情勢にも通じる部分が非常に多く、とても示唆に富んでいます。これを読むと今の世界で何が起きているのかがわかる、と言っても過言ではない名作。一人でも多くの方に読んで頂きたいと思い、しつこいようですが3回目の投稿です(笑)。

 

もちろん内容はちゃんと変えています。「何回も同じネタでやりやがってww」とか思わないでくださいね〜。

 

民主主義と超民主主義の違い

オルテガという人物は民主主義というものをとても重要視した方です。

ただ、彼が重要視した民主主義とは「今生きている国民の多数が正しいと考えたから」と言って、何でも無条件に推し進めてしまうようなものではありません。むしろ彼はそのような”自己本位”の民主主義を「超民主主義」と呼んで徹底的に批判しています。

なぜなら、彼が生きた20世紀前半というのは、まさにそのような「超民主主義」によって正当に権力を得た、ナチスのヒットラーやイタリアのムッソリーニによって、少数者の意見を力で握りつぶし、自分の意見に反対する者たちを徹底的に弾圧するような暴力的な社会の真っ只中だったからです。

 

では、民主主義がそのような自己本位の超民主主義に陥らないためにはどうすれば良いのか?

それは「生きている死者」を国政に参加させることができるかどうかに掛かっている、とオルテガは考えました。

 

「生きている死者」とは?

普通に考えると「生きている」と「死んでいる」というのは、相反する言葉です。「生きているのに、死んでいる」・・・訳がわかりませんよね。

あれです。ジョジョの奇妙な冒険の第三部で、ポルナレフが大ボスのディオ・ブランドーの力の一片を体験した時に言った名言みたいなものです。

「俺はヤツの前で階段を上ったと思ったら、いつのまにか下りていた。」

何を言ってるかわかんねーだろうが、俺も何をされたのか分からなかった。

催眠術だとか超スピードとかそんなチャチなもんじゃねー! 

もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ・・・。

分かんないですねww

分かる人だけ分かってくださいwww

 

話を戻しますが、「生きている死者」というのは”リビングデッド”的な文字通りの意味ではありません。

そうではなく、”今生きている私達がたまたまこの時代に生きている”という理由だけで、過去や未来を無視して自分たちの都合が良いようにルールや習慣を変更してはならない。ちょっと古風な表現になりますが、「ご先祖様が観ている」という言葉があるように、現在の私達が生きているのは過去の国民の血と汗と涙のお陰であるという意識をしっかり持つこと。そして、今自分たちがやろうとしていることは、そのような先人たちの命や考え方に恥じることのないものであるかどうかをしっかり考え、みんなで議論した上で判断するべきである。

 

伝統とか習慣という抽象的な言葉だとなかなか自分の行いを客観的に見つめる指針にはなりにくい。でも、「自分の両親や、おじいさん、おばあさんが今の自分を観たら何と言うだろうか?」と具体的な人間像を思い浮かべることで、自分たちさえ良ければ良いという自己本位の超民主主義を乗り越えることができる。

そのような意味で、オルテガは「生きている死者」を政治に参加させるべきだと考えていました。

 

「私は、”私”と”私の環境”である」

これはオルテガの有名な言葉なのですが、「私」というものは現代という時代に突然生まれてきた訳ではないし、今の私は知らず知らずのうちに周りの環境によって形作られれている、ということを表現した言葉です。

ただ、これは「だから自分の周りの家族のことを考えていれば良い」という意味ではありません。それはもっと広く、深い意味です。

 

私なりの言葉で言うと、空間的なつながりの「横軸」と、歴史的なつながりの「縦軸」の交点として、自分は存在しているという意味ではないかと思うのです。ちょっと詳しく書くと

 

・空間的横軸

今生きている私達は、さまざまな形で社会繋がっています。その社会というのは抽象的な「社会」ではなく、自分の親兄弟や友人、会社など具体的な人間関係の延長にある社会です。

そのような関係性やつながりを”今”という時代を一緒に生きているという意味で「横軸」だとします。

 

・歴史的縦軸

先程も書いたように、私達は突然この世界に生まれ落ちたわけではありません。

人によっては幸福だったり、辛かったりといろいろな形があるでしょうが、いずれにせよ過去に生きてきた人たちの結晶として、この時代に生まれ落ちたわけです。

そして、この私達が生きる「生」は、この瞬間で固定されるわけではありません。自分が望もうと望むまいと「未来」へと繋がっていきます。

そのような「過去、現在、未来」のつながりを「縦軸」だとします。

 

オルテガの言う「私は、私と私の環境である」というのは、自分という存在はそのような2つの軸によって繋ぎ止められているという意味ではないかと思います。私達は決して空中に浮かんで好き勝手に生きている存在ではない。現代の社会の文化や習慣、考え方にも規定されているし、自分が育った環境を作り上げた歴史や伝統にも規定されている。

それから逃れるなどということは不可能だし、むしろそのような自分を規定する縦軸と横軸のつながりによって、自分が何者なのかという不安に駆られることなく生きていくことができるのだと。

 

現代人は孤独である

オルテガは「大衆の反逆」の中で、「現代のヨーロッパ人は孤独である」と言っています。ヨーロッパ人は近代的合理主義の中で、過去から受け継いできた伝統や習慣を捨てさり、今自分たちが目に見える物しか信じなくなった。「理性によってこの世界の全てを解き明かせる」というある種傲慢な近代的価値観にどっぷり浸かってしまった現代人は、過去から受け継いで来たものを「過去の遺物」「古ぼけた悪習」だと切り捨てることで、むしろ自分という存在をしっかりと支えてくれる基盤を打ち捨ててしまった。

つまり、過去との絆をみずから断ち切ってしまったのだと。

そういう意味で「現代のヨーロッパ人は孤独である」と言います。

 

今が大事。

今生きる自分が大事。

自分を育んできた社会や過去の蓄積に価値を認めず、自分の目に見えるもの、自分が気持ちの良いと感じるものしか信じない。そのような自己本位の考え方が、現代のさまざまな問題の根幹にあるのではないか・・・。

もちろんオルテガの言う「現代」というのは、今から100年以上も前のことです。しかし、これはまさに今私達が生きている現代にも当てはまるのではないでしょうか。とても「1世紀も前のこと」と切り捨てて良いようには思えません。

 

もちろん過去から引き継いで来たものこそが全て正しいというつもりはありません。知識や経験という意味では間違ったこともたくさんあるでしょう。

しかし、その時々において、そこで生きてきた人たちは必死に考え、努力して生きてきた。「知識」や「成果」という結果だけではなく、そのような過程に目を向け、その過程に根ざす魂をしっかりと受け継ぐこと。それこそが空間的横軸と歴史的縦軸の交点として生きる私達の使命ではないかと思うのです。 

 

「大衆の反逆」というタイトルから、大衆を馬鹿にしたエリート至上主義的な書物だと勘違いされやすいですが、是非一人でも多くの人に読んで欲しいと思う名著です。

 

ちなみに、過去2回の投稿はこちらになります。

よろしければこちらもどうぞ。

 

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今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆