Dive Into The World

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西洋の歴史に潜む”罪悪感”が「西洋の自死」を引き起こす

今回は前回に引き続き現在世界中で話題となっている、こちらの本のレビューの続きです。

 

ダグラス・マレー著「西洋の自死」。

前回のレビューはこちらです。

 

前回の記事で書いた内容をざっくり書いておきますと・・・

 

ヨーロッパでは文化のことなる移民(中東、アフリカなど)が近年激増している。

もともとは「人手不足を解消するため」だったのですが、2015年にメルケル首相が「移民の受け入れは無制限」宣言をして以来、膨大な数の移民がヨーロッパ諸国に押し寄せています。それと共にそれら移民による犯罪が各国で多発しています。

しかし、今のヨーロッパではそれを告発すると「人種差別主義者」というレッテル貼りをされ「政治的に殺される」ため、そのような声を上げることができない。しかも、自治体や警察すらもそれを恐れて犯罪を見て見ぬふりしている、という最悪の状況になっている。

 

というような内容でした。

 

さて、ではそのような混乱の原因となった移民をなぜヨーロッパは受け入れたのでしょうか?

 

移民受け入れの発端は「人手不足解消」だったが・・・

もちろんヨーロッパの人々も、元々そのような状況を求めていた訳ではありません。彼らはあくまで人手不足を補うための短期的な労働者として移民を受け入れたのです。

これ、どこかで聞いたことのあるセリフじゃないでしょうか。

 

また、本書によると、イギリスの世論調査では国民の過半数が移民の受け入れに否定的でした。しかし、政治やメディアなどでの場においてはそのような国民の声は一切反映されずに、むしろ世論が移民の受け入れを当然視しているような空気作りが行われました。そして、移民の受け入れは"既定路線"として粛々と進められていった訳です。

 

これもどこかで聞いたことがありますよね。

そう、昨年移民受け入れ拡大法案を国会で承認した時に、与党が行っていた説明と同じなのです。それと同じ説明がヨーロッパでの移民受け入れ拡大時にもなされていた、ということになります。

またその「人手不足理論」だけではなく、イギリスを始めとするヨーロッパでは、移民の受け入れは次のような理論で正当化されて行ったようです。

 

・大規模な移民は我々の国々の経済を利する

・高齢化する社会では移民を増やすことが必要だ

・何れにせよ移民は我々の社会をより文化的で、興味深いものにする

・たとえ上記がすべて誤りでも、グローバル化が進む限り、大量移民は止められない

 

これらは主張はどれもが日本での「移民受け入れ拡大」を推進する人たちに当てはまります。これらの全てについて著者のダグラス・マレーは丁寧に反証を重ね、その論拠が全く正当でないことを解説していきます。

そのマレーの反証はここでは割愛しますが(できれば本書をお読みください)、より重要なのはこの反証そのものよりも、ヨーロッパの移民推進派・・・特に指導者たちは、これらの主張のうちの一つが破綻すると、別の主張へ巧みに置き換えたり、論点を変えたりしながら、移民受け入れをずっと正当化し続けてきたのです。

正に「ああ言えばこう言う」そのものなのですが、そうやって時間稼ぎをされている間に、ヨーロッパは今のような混沌した状態・・・・マレーが言う「自ら死を選んだ」状態に追い込まれていった訳です。

 

なぜ移民受け入れが正当化されたか

マレーは本書のかなりの部分を割いて、これらの移民受け入れ推進の主張を覆していくのですが、マレーはさらにもう一歩奥にまで足を踏み入れます。

その一歩とは「このような見え透いた時間稼ぎの移民受け入れ正当化の主張が、なぜヨーロッパでひっくり返されなかったのか?」であり、そこに潜む”ヨーロッパの病の真源”です。

 

結論から言ってしまうと、マレーはこのような見え透いた正当化がヨーロッパで受け入れられてきた原因は、

 

かつての自分たちの帝国主義に対する罪悪感

 

だと言います。

 

17世紀以来ヨーロッパの国々(もちろんアメリカも)はその軍事力を背景に、世界中を植民地化し莫大な利益を得ました。その時のアジア、アフリカ、中東に対する”罪の意識”が、「移民を受け入れることによる損害」を主張することをためらわせて来たのだと、マレーは主張するのです。

 

過去への罪悪感が原因だとすれば、日本は・・・

さて、このマレーの主張が正しいとすれば、我が国日本はどうでしょうか?

私個人としては日本が帝国主義の時代に海外の国に対してどの程度の損害を与えたのかについては議論の余地があると思います。しかし、その議論とは別にヨーロッパと同じ「帝国主義時代の罪悪感」が日本人の中に深く根付いていることは否定できません。

そのような日本においてヨーロッパで主張されたことと同じ論理が展開されればどうなるでしょうか? 

特に日本は「空気を読む」ことを強要されることが強い社会ですから、そのような「空気」が醸成された時、果たして声を上げることができる人がいるのでしょうか・・・。

 

現在のヨーロッパでさえ「人種差別主義者」のレッテル張りを恐れて、警察やメディアが動くことができない。日本においてそのような状況で命懸けで声を上げることができる人がいるとは正直思えません。

 

で、あればどうするべきか?

今、です。

今声を上げるしかないのです。

 

確かに残念ながら既に移民受け入れ拡大の法案は昨年国会を通過してしまいました。しかし、今年は参議院選挙がありますし、全国地方知事選もあります。もしかしたら、衆議院選挙とのダブル選挙ということも有りえます。

この時にどういう行動を自分がとるべきなのか?

それをしっかり考えることが来るべき未来を変えてしまう。今の私達はまさにそのような歴史的な転換期にいるのです。

 

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆