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麻生氏の「医療費負担があほらしい」発言は「民主政治の成立条件」を否定している

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問題発言に関しては定評のある麻生財務相がまた炎上ネタを放り込んだようですね(笑)。

この方の発言で炎上する度に思うのは「表現の仕方というのは大事だな」ということです。言いたいこと自体は一理あるのですが、表現の仕方が雑すぎるため「問題提起」を飛び越えて問題発言になってしまうのが玉に瑕(きず)です。
 
それゆえ野党やメディアの政権批判に利用され、さんざん利用され尽くした後、何事もなかったかのように忘れ去られてしまうことがほとんどです。まるで一発屋芸人のようだ(笑)。
 
ただ、今回の発言はそれで終わらせるにはもったいない、普段我々が特に意識していない「民主主義とはなんのか?」を考えさせられる奥深い問題が潜んでいます。そこで今回は麻生氏の発言を振り返りながら、民主主義が社会で成立する条件について考えてみたいと思います。
 
 
改めて麻生氏の発言を振り返ってみましょう。朝日新聞によると麻生氏は
 
「おれは78歳で病院の世話になったことはほとんどない」とした上で「『自分で飲み倒して、運動も全然しない人の医療費を、健康に努力している俺が払うのはあほらしい、やってられん』と言った先輩がいた。いいこと言うなと思って聞いていた」と話した。
 
と発言したそうです。
ただ、一応記者から麻生氏も同じ考えかと重ねて問われると「生まれつきもあるので、一概に言うのは簡単な話ではない」と説明。予防医療の推進自体は「望ましい」とも語ったそうですので、麻生氏自身はこの先輩の言葉に「一理あるな」と思ったということなんでしょう。
 
この発言に対し、メディアや野党はいわゆる弱者保護の立場から反発をしているようですが、事はそんな単純な話ではないのです。麻生氏はいわゆる自由主義的な「自己責任論」からこの先輩とやらの発言を引用したのでしょう(本当にこの先輩とやらが存在するのかどうか知りませんが)。
実際ネット上ではそのような「自堕落な生活を送った者の自己責任だ。なんでそんなやつらの保険料を健康な自分たちが払わなくちゃいけないのか」という意味合いで、この発言に賛同する声が目立ちます。しかし、麻生氏はこの発言により、実は自分たちの置かれている「政府」という国家権力の立場、そして民主主義の成立条件を政府の要人自ら否定しているという所に問題があるのです。
 
 
どういうことでしょうか?
ちょっと詳しく考えてみましょう。
 
麻生氏の先輩の発言に沿えば、例えば失業保険のような社会保障も同じくアホらしいという話になります。失業するのは仕事を怠けていたか、あるいは別の企業に移っても食べていけるだけの能力を身につける努力を怠ったからだ。俺は今まで失業したことなんか一度もない!そんなやつらのために失業保険を払うなんてアホらしい!というのと同じですからね。
あるいは自動車を購入するときに加入が義務付けられている自賠責保険も同じくアホらしくなります。事故に遭うのは運転技術が下手か、注意を怠っていたからだ。俺は今まで事故にあったことなんか一度もない! そんなやつらのために自賠責保険を支払うなんてアホらしい!これも同じ論理ですね。
 
まぁ、若干茶化してますが(笑)、基本的には麻生氏(の先輩)理論に沿えば、このような相互扶助をすべて「自己責任だろ。あほらしい。」で否定できてしまうのです。
 
感情や道徳的な話を一旦横においておくとして、徹底して利己的に考えれば一応理屈は通っているのです。
しかし、問題はそれでは民主政治は成り立たないということです。
 
国家の政治形態が民主的であればあるほど、その政治形態や社会制度を継続していくためには国民の間に連帯感や相互扶助の意識が必要になります。
どこの国とは言いませんが、政府が強権を発動して管理するような非民主的な国であれば、国民が自己責任論で責任を押し付け合い、バラバラになり連帯意識がなくても国の形態と秩序を保つことはできます。
 
しかし、民主政治においては国民が互いの個人的な利益や立場を超えて、連帯意識や相互扶助の意識を持つことが必要です。それがなければ寛容の精神や妥協は生まれず、意見や立場の対立が先鋭化し、民主政治が成り立たなくなってしまうのです。
そのような民主政治が成立する基本的な条件である連帯意識を否定する自己責任論を政府の要人自らが肯定するとは、いかがなものでしょうか。
さらに言えば、政府の役割の一つは国民が稼いだ富を徴収し、それを社会に適切に分配する「所得の再分配」です。本来であれば、国民が自ら稼いだ所得を誰か(それが政府であろうが)に徴収されるいわれはない訳です。それを「同じ国住む、同じ国民に分配する」というただそれだけの理由のために、所得を政府に徴収されるのです。利己的な自己責任論で考えれば、そのような政府の命令に従うのは不服でしょう。しかし、実際にそのような事が起こっていても誰も暴動を起こしたりはしません。
それはひとえに、社会の連帯感や相互扶助の意識が国民の間にあるからこそ、です。そのような意識が土台にある民主政治の上に成り立っているからこそ、日本政府は社会に富を適切に分配する所得の再分配の役割を担うことができるのです。
 
 すなわち、麻生氏の今回の発言は民主政治を成立させる社会規範を否定するものであり、政府自らの社会的役割も否定するものであるのです。
 
 
今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました<(_ _)>