Dive Into The World

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すぐに「コスパ、コスパ」という人間は、大人になることから逃げている子供に過ぎない

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みなさん家電量販店とか本屋とかに行くと、決まって目を通すコーナーってあるのではないでしょうか。例えば男性が家電量販店に行ったらパソコンコーナーとか、女性が本屋に行ったファッション誌とか。
どういうコーナーに行くかは人によって様々だと思いますが、大体は趣味や仕事の関係上興味があるものではないかと思います。
 
私の場合、家電量販店に行くと大体音楽用のヘッドフォンやイヤホンのコーナーに行きます。理由は二つありまして、ひとつは趣味で音楽をやっているので、やっぱり音質にはこだわらないとね!ということ(まぁ、そう言いつつ普段はほとんどiPhone標準のイヤホンなんですけどね(笑))。
もう一つは仕事で広告やパッケージを作っているので、ヘッドフォンのパッケージや印刷物を見て参考にするためです。
 
ヘッドフォンとかにこだわる人は比較的若い人が多いので、今の流行見るのに参考になるのですよ。
 
で。
この前とある東の方に急ぐハンドっぽいお店に行った時に、ヘッドフォンコーナーに行ったのですが、何気なく陳列を見ていたら「2018年コスパ賞受賞」という文字が。
 
コスパ賞⁈
なんじゃそりゃ?
 
 「グッドデザイン賞」というものを見かけたことがある人も多いと思いますが、あれと同じような感じですね。
 
日本ではコスパ、すなわちコストパフォーマンスは、支払ったお金に対して、大きい効果が得られる物というように解釈され「ハイ・コストパフォーマンスモデル」などという言葉まであります。
 
最近では、結婚や子供を作ることに対しても「コスパ」で語られることすらあるようですが、このコスパ至上主義のご時世は何なんなのかと思ってしまいます。
 

コスパが良い」は日本語である

勘違いされるケースが多いのですが、そもそも「コスパ(コストパフォーマンス)が良い」という言葉は英語にはありません。外国人に「High cost performance」とか「Good cost performance」と言っても通じません。
 
以前アメリカ人に英文の校正を依頼した際に、私が「High cost performance model」と説明したところ、爆笑されまして
 
「そんな英語はないよ! cost performanceという言葉自体が安物を表す時の表現だから、それがhighだとかgoodだとか言うことはナンセンスだ。日本人は面白いことを考えるな(笑)」
 
と言われて、実に恥ずかしい思いをしました。
 
したがって、私は「コスパが良い」とか「コスパが悪い」というのは、日本独特のある考え方の中で生まれた表現なのではないかと思っています。ではその考え方というのは何なのか?
それは“他の皆と同じ価値基準の下で、物事の価値を判断したい、あるいはそうすることに安心感を得る”という考え方です。言い換えると、
 
“自分独自の価値基準で物事の価値を測るのではなく、世間一般に共有されている(と思われる)価値基準で価値を測る”
 
という考え方です。
 
 
ちょっと「コスパ」との関係が分かりにくい気がしますので、もうちょっと詳しく書きます。
日本でコスパとは、いわゆる“費用対効果”の意味で使われていると思います。結婚や出産/育児で考えると分かりやすいのですが、結婚とか出産/育児にかかる費用とそこから得られる効果(パフォーマンス)というのは一概に測ることができません。「どんなに仕事で疲れても、我が子の笑顔を見るだけで満たされる」という人もいれば、仕事もせずにぐーたらして、挙句の果てに子供が言うことを聞かないからと虐待する人もいます。
 
その違いが生まれる原因とは何でしょうか?
当然収入面などもあるでしょう。ですが、AmazonとかMicrosoftの社長一家とかいった極端な例を出さなければ、経済的に豊かになれば家計に占める家族への出費の割合がそれだけ減る訳ではありません。豊かになった分だけ、出費も増えるのが普通です。
 
そうではなくて、そのような家族との生活に幸/不幸の違いが出るのは、“いくら払うか”という費用重視ではなく、“その生活から何を、どれだけ得られるか”という効果をどれだけ引き出せるかという考え方の違いが原因なのではないでしょうか。
つまり、家族との生活が満たされたものになるかどうかは、自分が支払った労力やお金に対して回収率が良いか?というお金の話ではなく、得られたものや体験にどれ程の価値を見出せるか?の違いにあるということです。
 
しかし、そのような価値を引き出せるかどうかは、その人間の力量や人としての器に関わってきます。つまりその人の人生観や生き方など「個人の価値観」によるところが大きいということ。したがって、結婚や出産/子育てにどのようなパフォーマンスを見いだせるかを経費という観点から考えること自体がナンセンスなのです。
 
 

コスパ信仰に頼ってたら大人になれないぞ 

翻って、最初に挙げたイヤホンのコスパとは何でしょうか?
コストはその商品を買うためのお金でしょうが、パフォーマンスとは何でしょうか? 音質の良さでしょうか?
多分そういう意味での「コスパ」なんでしょうが、私から言わせればそれすらもナンセンスです。はっきり言って、どういう音が良い音かなんて人によって違います。いわゆるデジタルのクリアな音が良いという人もいれば、アナログ・レコードのようなくぐもった音を味があるという人もいるでしょう。
また、同じ人物でもその時の気持ちや空間、誰と一緒に聴くかなどで「良い音」かどうかの価値基準も変わってくるのです。さらに言えば、時代や社会情勢、音を解析し再構築する技術的な進歩によっても変わってきます。
いついかなる時にも通用する“絶対的な良い音”などという物は存在しません。それは幻想です。
したがって、先程の結婚や子育ての話と同様、払った費用によってその価値を測るのではなく、自分がその商品にどのような価値を求め、どれだけの価値を引き出せるのか? それこそが重要な考え方なはずなのです。
 
しかし、そのような「考え方」を身につけるのは非常に労力がかかります。自分が「何を、どう求めているのか」という問いに、いちいち向き合わなくてはならないからです。そこに出てくるのが「コスパ信仰」です。
コスパとは「お金を支払う=経費という概念から価値を計算する」という方式のこと。すなわちそれは“日本円”という日本社会で広く共有される一つの価値基準によって、すべての物事の価値量を測るということ。それが日本で広まっているコスパ信仰です。
 
それは、自分独自の価値観を創り上げることなく、社会・・・いえ国家によって用意された価値基準ですべての価値を測る行為です。価値観の体系は既に作り上げられており、その価値体系の下に「あれはコスパが良い。これはコスパが悪い。」と好き勝手に言うだけの行為です。本来ならば「自分の価値基準ではこうだから、あれは認められない。これは認められる。」という判断をしていかなければならないはずですが、「これが1,000円。あれが10,000円。」と価値体系がすでに作り上げられた社会の中で、それを正しいと無批判に受け入れて「だったらそれは5,000円じゃない?」と判断しているに過ぎません。
つまり自分独自の価値基準というものを持たずに、社会で流通している価値基準に依存して「コスパ」という概念で、物事の価値観を判断した気になっているだけなのです。
 
そこには何の責任も生じませんし、自分の価値基準で判断するという労力も必要ありません。責任を持たずに個人的な感想を述べるだけ。非常に楽な作業ではあります。一つ一つの物事に自分独自の価値基準を当てはめて考えるということに比べれば、圧倒的に効率的でしょう。ですが、長期的に見てそれが本当に正しいことなのでしょうか?
 
コスパという判断基準ですべての物事を“計算”しているかのように、偉そうな態度を取っていても、結局それは自分独自の価値基準を築き上げ、その基準に基づいた判断に責任を取るという一人の大人としてあるべき姿から逃げているだけはないでしょうか。人から与えて貰った価値基準で物事を無責任に切りまくるだけの子供じみた生き方以外の何物でもないように私には思えるのです。
 
人間は人生のどこかで「正解のない問いに対し、自分独自の価値基準に基づいて判断を下さなければならない」という時に必ず遭遇します。
そして、そういう時にこそその人が持つ本来の力量というか器が示されるのです。「コスパ信仰」に頼っていては、そのような状況に陥った時に責任ある大人としての力量を示すことができないのではないでしょうか。
私は今の日本に蔓延するコスパ信仰が、人を責任のある大人として成長させる機会をどんどん失わせていっているような気がしてなりません。
 
 
 
今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆