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貴乃花親方引退劇に観る「伝統」のあるべき姿 ー権威にふんぞり返っていても伝統は守れないー

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昨日の投稿でも書きましたように私は先週一週間まるっと中国へと出張しておりました。

中国のホテルのテレビはNHKの放送だけは観ることができますので、時間がある時にはNHKを観て日本の情報を得ていたのですが、私の最重要関心事は「台風の進路」です(笑)。

いや、笑い事じゃないんですよww

進路とスピード次第では日本に帰るのが遅くなりますし、飛行機に乗るのが死ぬほど恐い私にとっては、台風の影響で飛行機が揺れるのがめっちゃ恐いのです!! (TOT)

 

ですが、そんな私の心配をあざ笑うかのように日本では「貴乃花親方の電撃引退」で大騒ぎになっていたようですね。

 

ぶっちゃけた話、私は大相撲そのものにはそれほど興味がありません・・・むしろあまりポジティブなイメージがないと言った方が良いかも・・・(^_^;)。

私の世代では横綱千代の富士が生きる伝説とも言える力士で、千代の富士の最盛期はよく観ていたのですが、千代の富士貴乃花親方(当時は貴花田)に負けた後に、いわゆる“若貴ブーム”が到来した時は、何かその浮ついた空気にむしろイライラしていたのを覚えています。

 

唯一の大相撲の思い出 

そんな私ですが、実は一度だけ大相撲の取り組みを観に行ったことがあります。

その時の一番の思い出は、先代・貴乃花親方とトイレで横に並んだことです(* ̄^ ̄*)エッヘン!

 

男性用の小便器で立っていたら、急に暗い影がのそっと現れまして「何だ??」と思ったら横に親方が立っていました。もうデカイのなんのって・・・。正直「同じ人間か?」と思うほどその巨体に圧倒されました。

その先代・貴乃花親方の息子である貴花田(当時)は、実際に眼の前で観ると取り組みのスピードとパワー、そしてその迫力に圧倒されたのを覚えています。ぶっちゃけ、貴花田を舐めてましたね・・・心の中で「ごめんなさい」と謝りました(笑)。

 

そんな思い出のある貴花田こと、現在の貴乃花親方が引退したということでちょっと驚きました。

と同時に、いつものようにマスコミが貴乃花親方と相撲協会を対立させて、どちらが正しかっただの、間違っていただのと騒いでいる姿を観て、その論点のズレ具合に中国の地から違和感を覚えました。

日本に帰ったら、この事を是非ブログに投稿したいと思っていましたので、今日はその話を。

 

考えるべきはどちらが正しいか?ではない 

さて、中国にいたからということもありますが、大相撲についてその程度しか知識のない私には貴乃花親方と相撲協会のどちらが正しいのかとか、間違っているのかとかは分かりません。恐らくどちらの言い分にも、それぞれの立場での妥当性があるのでしょう。

そもそも私はこの騒動においてどちらが正しく、どちらが間違っているのかを考えることはあまり重要ではないと思っています。

私が重要だと思うのは、様々な意見はあるかと思いますが一応現在でも国技としての立場を失っていない大相撲という日本の伝統を象徴する神事において、相撲協会という唯一の権威に対し貴乃花親方が「相撲の未来とはどうあるべきか?」を問うたことそのものの意義です。

そして、それが「伝統」というものに対してどのような意味を持つのかを考える重要な契機になると思っています。

 

そもそも権威とは、本当に権威としての立場を失っていなければ、それに対して疑義が述べられることはありません。今回の貴ノ岩関への暴力事件に端を発す一連の騒動において、貴乃花親方が相撲協会に疑義を示したこと、それ自体がすでに相撲協会の権威の失墜を物語っています。

そして、権威なき者に伝統を守ることはできません。

 

なぜなら伝統を守るためには何世代にも渡る経験の中で培われた、様々な立場や考え方の人を守るための知恵と制度、そして短期的な利益や自由を求める空気に左右されることなく、むしろ長期的な視野でそのような勢力を正しい方向に導くようなバランス感覚がなければなりません。

しかし、人間は・・・特に若い内は、そのようなある種“保守的な考え方”に反発を抱くのが世の常です。「あいつらの考え方は古い。」「もうそんな時代じゃない。」という感じですね。

 

そのような若い世代も含めた幅広い人々に「時代の流れに惑わされずに守るべき物が何なのか」をしっかりと届けるには、「あの人たちの言うことは聞いておくべきだ」と直感させる権威がどうしても必要になるのです。

 

しかし、その権威というものは「権威の内にある人」と「権威の外にある人」の間に信頼感がなければ成立しません。お互いが「結局あいつらは自分のことしか考えていないのではないか?」という不信を抱いてしまえば、権威は立場が上の者が下の者を黙らせるための不当な権力にしかなり得ないのです。

 

その意味において、今回の騒動は貴乃花親方が相撲協会に疑義を申し立てた時点で、すでに相撲協会の権威を揺るがすものだったのです。その貴乃花親方のやり方が正しかったかどうかは分かりません。

ですが、そのような事が起こった時点で、すでに権威はほとんど崩れ去ってしまっていたのです。その時に本来相撲協会がなすべきは貴乃花親方と正面から向き合うことだということだったはずです。

 

しかし、相撲協会が実際に行ったのは権力によって貴乃花親方を黙らせようとすること、あるいはその存在そのものを無視する行為でした。

残念ながら相撲協会は自分たちの権威が何によって成立しているのか、そしてその権威が失墜することの重要性に全く気付かなかった。あるいは気付いていながらもだんまりを決め込んだのか。いずれにせよ、その事の重要性を理解できる分別と、それに堂々と立ち向かう責任感を持った人物がいなかったということでしょう。

 

伝統とはただ古いものを守ることではない。

先に書いたように、私は貴乃花親方が正しかったとか、相撲協会が悪かったとか、どちらかの善悪を決めるつもりはありません(相撲協会の“対応”が悪手だったことは間違いないと思いますが)。 

ただ、相撲協会の中にちゃんと貴乃花親方に向き合える人物。もし仮に彼が間違っているのなら、それをちゃんと諭すことができる能力と器量のある人物がいなかったことが残念でなりません。

 

私は本来の伝統の力とは、ただ長い間組織を存続させること、古い価値観を守るということではないと考えています。そのような悪い意味での保守は伝統でも何でもありません。ただ過去にこだわっているだけです。

そうではなく、純粋な意味での“一個人の能力”を超えて、「守るべき価値観を守るために組織に新陳代謝を促し、時代の流れに柔軟に対応できるような活動を先導していくような能力」を持つ人物を育て上げていくこと・・・・それこそが伝統のなせる業、いえ伝統が成すべきことだと考えています。

 

その意味では大相撲の中には、もう既に日本の国技として相応しい「伝統」が備わっていないのかもしれません。私自身は特に大相撲に強い思い入れがある訳ではありませんが、既にそのような伝統が失われ、“スポーツ”としての形だけの相撲が残っているに過ぎないのだとしたら、一日本人としては残念でなりません。

 

せめて今回の騒動によって、日本の中に今一度「伝統のあるべき姿とは何か?」という問題意識が立ち上がるのであれば、日本の国技としての大相撲に少しでも餞になるのかもしれません。

 

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆