Dive Into The World

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中国で食べたマンゴーの味が教えてくれたグローバリズムの誤り

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実は先週一週間、中国の南方へ出張しておりました。

もしかしたらとは思いましたが、やはり中国からは「はてなブログ」の記事投稿はできませんでした。正確に言えば入ることはできたのですが、とんでもなく遅くて諦めました(笑)。

まぁ、やはりかの国から日本にアクセスするのは大変ですね。

Yahooは比較的接続が良いのですが、その他のニュースサイトとかはすっごい遅いです。その理由は“言わずもがな”ですね。ネット環境が悪い、とかいう話ではないことだけは言っておきましょう。

 

ちなみに、そういう事態を想定して、実は先週の投稿は出張前に仕込んでおいた物だったのです(* ̄^ ̄)エッヘン!

という訳で、折角なので今回は中国出張レポート(?)みたいなものをお届けしたいと思います。

 

実は今回の中国出張において一番の思い出。

人生初の思い出ができました。

それは・・・・

 

 

マンゴーを食べたことです!!!

ドーン!!! m9( ゚Д゚)

 

いや、半分冗談なんですけど半分本気なんですよww

 

マンゴーを全く食べたことがない訳ではないのですが、昔からあの甘ったるい感じが嫌いでちょっと受け付けられなかったのです。今回出張中に中華料理を食べに行った時にデザートとしてマンゴーが出てきまして・・・。

最初は嫌がっていたのですが、色々あってちょっとだけ食べることに・・・・。そうしましたら、これがなかなか美味い! 日本で食べるマンゴーよりもさっぱりしていて、すっきりとした甘さで日本で食べる物とは全然違いました。

今回行ったのは中国でも南方の方なのですが、ヤシの木が生えているような熱帯に近い場所なので、やはりマンゴーは“土地の物”のようで新鮮なんですね〜。多分日本で食べてもあの味は味わえないでしょうから、これからもマンゴーを食べるかどうかは不明ですが(笑)。

 

そんな私の「人生初体験マンゴー」ですが、この美味しさを味わった時に私の頭に浮かんだのは

 

「やっぱりグローバリズムは間違ってるな」

 

ということでした。

いきなり話が飛び過ぎだろwwwって思われますか?

思いますよね〜〜(笑)

すみません!

でもね、本当にそう思ったんですよ(^_^;)

 

グローバリズムの経済面における理論的支柱は「新古典派経済学」という経済学派なのですが、この学派の古典として崇め奉られているのが18世紀にデイビッド・リカードという経済学者が提唱した比較生産費説。

Wikipediaの説明では

 

これは、自由貿易において各経済主体が(複数あり得る自身の優位分野の中から)自身の最も優位な分野(より機会費用の少ない、自身の利益・収益性を最大化できる生産)に特化・集中することで、それぞれの労働生産性が増大され、互いにより高品質の財やサービスと高い利益・収益を享受・獲得できるようになることを説明する概念である。

 

ということになっています。

比較優位説とかって言われたりもします。

すっごく簡単に言うと「いくつかの国の貿易において、それぞれの国が自分の得意な物の生産に特化し、お互いの国がそれを交換し合えば、世界的に見ると一番効率的な生産ができるよね」ということになります。

 

それが実現されるためには、それぞれの国が保護関税を掛けたりすると効率的な交換ができませんが、「自由貿易」であれば効率的な交換ができる。ここから「自由貿易によって、世界全体でもっとも効率的な生産ができるのだーーー!」という自由貿易至上主義やグローバリズム至上主義が生まれます。

 

 ただ、中国でマンゴーを食べた時に思ったんですよ。

「そんなのは机上の空論だな」と。

 

確かに中国で作っても、アメリカで作っても、日本で作ってもマンゴーはマンゴーです。でも、同じマンゴーでも私にとっては日本で作ったマンゴーはあまり美味しくなく、中国で食べたマンゴーは美味しかったのです。

※マンゴーの味については主観なので、マンゴー農家の方が気分を悪くされたら全力で土下座しますm(_ _)m

 

別にこれはマンゴーのような食べ物に限った話ではありません。

別の例を挙げると、MacとWindowという二大OSの違いもそうです。

ネットサーフィンをするだけならそれほど違いはないかもしれません。ですが、デザイナーの人に言わせれば、デザインをする時に1ピクセルとか2ピクセルとかの非常に微妙な調整をするには、Windowsの動きでは上手く操作することが難しいそうです。

パソコンのソフトのような、どこで作っても同じと思われがちな、いわゆる“機械的な生産”が可能な物でもそのような微妙な違いがあるのです。

 

同じ物を作っても、その生産地やそれに関わる人が違えば同じ物にはならない。見た目はどんなに似せられても、違うものは違うのです。そして、人間はその微妙な違いを感じ取るし、その違いを許容できる人もいれば許容できない人もいる。それが社会や文化の違いであるし、その人が生きてきた歴史の違いでもあります。

 

確かにリカードの比較優位説は理論としては面白いとは思います。

ですが、やはり現実に生きる人間はそのような微妙な差異性を無視した“グローバルな世界”に生きることはできない。そのようなある種の非現実的な前提を置いた上に築き上げられている“経済学”は、参考にすべき点はあるものの必ずしも科学のような正確性を持つことはできないのです。

 

経済学というとすごい難しい数式や理論によって構成されているように思われがちですが、実はそのような「砂上の楼閣」という側面もあるのだということ。理論はあくまで理論であり、それを盲信してはならないということ。

そして、私達は理論の世界ではなく、様々な価値観や文化を持った人々が生きる多様な世界に生きているということを今一度思い起こすべきではないか。

 

中国で生まれて初めて「美味しいマンゴー」を口にした時、そのようなことを考えてしまいました。

 

という訳でもう一度。

 

そんな事を考えさせられるくらい中国のマンゴーは美味かったぜ!!!

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆