Dive Into The World

話題のニュースがどんな意味を持つのかを分かりやすく解説。普通の人たちと専門家をつなげるようなブログを目指します。

文字とイチゴとテクノロジーと。

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さて、往年の平松愛理の名曲「部屋とワイシャツと私」のようなタイトル始めてみました(*´∀`*)
若い人知らないかな…。気になったらググってください(笑)。

しかしいつものように、そんなタイトルのお洒落感とは一切無縁の、がっつり濃くて深い内容でお届けします!(笑)。
 
さて、今回のテーマは
 
「テクノロジーによって得られる物と失われる物」
 
です。
 
先日NHKのニュース番組で下記のような特集が組まれていたようです。
 

 

皆さんご存知の通りトランプ政権による厳しい移民政策のために、メキシコからの不法移民がアメリカの労働市場か締め出されています。
 
しかし、実はアメリカの農産物の安さは、その「不法移民ゆえの安い労働力」によって支えられている側面があるのです。
ですから、移民を締め出すことが農産物の価格上昇というジレンマを生み出しているという実態があります。
 そこで上記の記事のように、イチゴを収穫する作業をAIロボットに行わせることで、労働力不足を補おうとしている訳です。
 
この記事ではイチゴの収穫だけが取り上げられていますが、当然イチゴだけに留まるものではありません。
 
例えばこのイチゴのように、

どのような状態になったら収穫するか?
収穫するときにどのようなやり方で収穫するか?

そのパターンさえつかめてしまえば、あとはそれを他の作物のパターンに応用するだけですので、あっと言う間に他の作物でもAIロボットによる収穫ができるように…そしてそれだけではなく、近い将来生産そのものをロボットが行うことも可能になるでしょう。
 
そうすれば凄まじいスピードで生産性向上が図られるに違いありません。
ビバ! テクノロジーの進歩!! 
 
 
という訳なのですが・・・・、実はここで私はとあるジレンマを感じてしまうのです。
 
そのジレンマというのは
 
・このような試みを「素晴らしい!」と歓迎する気持ち
 
・“農産物”という大地の恵みを人の手を介することなく機械によって作り上げることで「食事を食べられる幸せ」を感じる感受性を失ってしまうのではないかという心配
 
この2つの相反する感情に挟まれたジレンマです。
 
私達はテクノロジーというと、何か素晴らしい物や便利で豊かな生活を私達にもたらしてくれるものと無邪気に信じています。
しかし、このAIロボットによるイチゴの収穫のように、テクノロジーとは実は様々なものを私達にもたらしてくれる一方で、太古の昔から様々なものを私達から奪っていったことを覚えておかなければなりません。
 
それを端的に表してくれている書があります。
古代ギリシャの哲学者プラトンが 「パイドロス」という書物に著した
 
文字というテクノロジー
 
についてです。
 
おそらくほとんどの人が「はあああ??文字がテクノロジー?? 何だそりゃ??」と思うでしょう(笑)。
いや、私も最初そう思いましたし(´-ω-`)
 
ま、とりあえずちょっとその部分を覗いてみましょう。
 
技術の神「テウト」 (英語のTechnicの語源でもあります)は、自分が発明した"文字"を神々の王である「タモス」に紹介し、
 
「文字によって人々の知恵は高まり、もの覚えは良くなる」
 
と進言します。文字に書き留めることで、人間の知恵と記憶は向上するのだと。
 
しかし、神々の王タモスはこのように返します。
 
「そうなる人間は文字に依存するようになり、かえって忘れっぽくなり、記憶力はないがしろにされるだろう。また、文字で書かれた内容を真に理解することなく振り回して、知恵の見せかけだけを吹聴するようになるだろう。」
 
ここで「文字がテクノロジーである」ということをよりハッキリさせるために、「文字」の部分を「インターネット」に置き換えてみましょう。
するとどうなるでしょうか?
 
テウトの進言:
「インターネットによって人々の知恵は高まり、もの覚えは良くなる」
 
神々の王タモスの返答:
 
「そうなる人間はインターネットに依存するようになり、かえって忘れっぽくなり、記憶力はないがしろにされるだろう。また、インターネットで書かれた内容を真に理解することなく振り回して、知恵の見せかけだけを吹聴するようになるだろう。」
 
 
どうですか?
どうですか? 
皆さん! (* ̄^ ̄*)エッヘン!
 
正に古代の「文字」と現代の「インターネット」がテクノロジーという側面でピタリと一致するのがおわかりでしょう!!
 
もう一度。
(* ̄^ ̄*)エッヘン!
 
そう我々が普段何気なしに使っている文字は、古代の知恵が生んだテクノロジーだったのです。

では、古の時代この「文字」というテクノロジーによって、人々は何を得て、何を失ったか。
 
人々は確かに文字というテクノロジーによって、自分たちの考えを様々な人々に伝えることができるようになりました。
しかも、それを時代を超えて、何百年、何千年と伝え続けることを可能にしたのです。
よく考えると凄まじいテクノロジーですね…。
 
しかし、面と向かって話す「話し言葉」と違い、文字は書かれたそのものでしかありません。
人によってその伝える所を変えることはできないのです。
しかも、それはそれを読む人の価値観や時代によって、書いた人の意図とは全く違うように捻じ曲げられてしまう可能性さえあります。
 
つまり、人間は文字というテクノロジーによって「情報」は伝えることができるようになったものの、時として本人が本当に伝えたい中身は捨てざるを得なくなってしまったのです。

しかし、皮肉にもそのようなプラトンの警告もまた文字によってなされているのです。

 
このようにテクノロジーとは様々な恩恵を私達に与えてくれるものの、必ずしも目に見えない何かを私達から奪っていく・・・その事は決して忘れてはならないと思います。
 
そしてその上で、そのテクノロジーをどのように扱うべきかを慎重に考えなくてはなりません。
 
確かに現在のAI技術の進歩は目を見張るものがあります。
それはとてつもない利便性や快適な生活を私達にもたらしてくれることでしょう。
 
しかし、テクノロジーはあくまでテクノロジーでしかありません。
それをしっかりとコントロールするには、そのテクノロジーによって失われる物をしっかりと見つめ、どのようなバランスでそれを取り入れていくのか。
その適切なバランス感覚こそがこれから重要になってくるのではないでしょうか。
 
今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆