Dive Into The World

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池上彰氏でさえ間違える「お金とは何か?」

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誤解がないように最初に書いておこうと思うのですが、私は池上彰さんのことは尊敬しています。

 

テレビで目にする池上さんの豊富な知識と経験、相手がどのような人でも臆することなく切り込んでいく鋭さ、そして何より複雑なことを出来る限り分かりやすく説明する解説能力は素晴らしいと思います。

私自身「池上さんのような説明ができるようになれたらなぁ」と思うこともしばしばです。

 

しかしながら、下記の池上さんの記事にちょっと違和感を覚えてしまいました。すみません。

ただ、私自身とても勉強になった記事なので取り上げたいと思います。

 


この記事の中で「お金の原点は物々交換」と書いてありますが、残念ながらこれは正しくありません。歴史上そのような事実は一切確認されていません。

お金の発祥は古代メソポタミア文明にさかのぼりますが、それは別に金貨でも何でもありません。ただ単に「この日◯◯さんがXXさんに小麦を100グラム貸した」というような記述がある粘土板です。

言うなれば借用証明書。これがお金の原点です。

 

ここで勘違いして頂きたくないのは、私は別にこのことを「事実と違っている!」と大げさに主張したい訳ではないということです。

間違えること、知らないことは誰でもあります。

そりゃ、人間ですから。

 

ただ、お金について「元々物々交換でやっていたのだけど、持ち運びや交換に現物は不便だからお金が仲介するようになった」という根本的な勘違いがあると、国家の財政への理解を間違った方向に導いてしまうのです。

私はその間違った認識が広まることによって、間違った経済政策が行われてしまうことを憂慮しているだけです。

 

 

もしかしたら「成り立ちなんてどうでも良いじゃない。今現実にお金が流通しているんだから、そんなこと関係ないでしょ」という人がいるかもしれません。

しかし、残念ながらその根本を理解していないということが、現在の間違った経済政策に結びついているのです。成り立ちを理解するということはとても重要なことなのです。

 ちょっとややこしい概念的な話になりますが、その勘違いの何がマズイのかを説明します。

 

軽くおさらいをしますと、池上さんが解説するようなお金の成り立ちは

 

昔は肉とか魚とかを実際に交換(物々交換)していた

肉とか魚で交換するのは大変だから、稲とか小麦を仲介役に使うようになった

稲とか小麦も腐ったりするから金銀を使うようになった

金銀も持ち運びが大変だから紙幣を使うようになった(この時点では金と交換可能な紙幣)

紙幣が金と交換できるということは、紙幣の量に見合った金を国が持っていないといけない

金による縛りが強すぎて国家経済が身動き取れないので、金と交換できなくても良いようにした(不換紙幣と言います)。

 

という流れです。

これを商品貨幣論と言います。

 

これを要約すると、お金の本質とは「何かと何かを交換する」ための仲介役であるということになります。

その仲介役が、昔は稲とか小麦、時代が下ると金銀になり、今は紙幣やデジタルデータという形に姿を変えただけ、という訳です。

 

その発想は「何かを得ようとすると、何か対価になる物が必要」という考え方がベースになっています。

あれですね。鋼の錬金術師という漫画がありましたが、それで言われていた「等価交換」というやつです。

あるいはHUNTER X HUNTERに出てくるクラピカが自分寿命と引き換えに得る「絶対時間」みたいなものでしょうか。余計分からんか・・・(笑)。

 

では、これを国家に当てはめてみましょう。

お金に見合う対価が必要になるということは、国家がお金を発行する時に何か対価が必要になるということです。

 

この場合の対価とは何でしょうか?

うーん、難しいですね。

 

実はその対価として一般的に言われるのが「国家の信用」です。

国家の信用を切り売りしてお金を手に入れる・・・正に将来の世代に責任を背負わせるというイメージにぴったりですね。

 

 

しかし、よく言われますがこの「国家の信用」とは具体的に何を指しているのでしょうか?

 

自慢じゃないですが、私は巷の経済学者や経済アナリストたちがよく言う「信用がある」「信用がない」という状態を明確に定義している人を見たことがありません。

そりゃそうです。信用なんて数値化したり、可視化したりできませんから。

信用が無いという状態を数値化したり、可視化したりできない以上、結局それは「言ったもん勝ち」です。言いたい放題なんですよ。単なる主観であり、検証できないのですから。

 

ですから、

 

「お金を発行すると国家の信用が無くなります!

 ( ・ิω・ิ)」 

 

とかって経済学者が偉そうに言うだけで、

 

「うわー日本は信用がないんだ〜〜〜(TдT)」

 

と、国民はただ漠然と不安になる。

で、不安を煽られる度に闇雲に貯蓄や節約に走るのです。個人や民間企業ならいざしらず国家までもが。

 

日本はここ何十年もずーーーーっとそうやって過ごして来たのです。

そのベースにあるのが、ここまで説明したように池上さんが解説するような「商品貨幣論」的考え方なのです。

 

 

逆に、池上さんの説明とは違う「お金とは債権の記録である」という立場に立って考えてみましょう(これを信用貨幣論と言います)。

 

お金とは誰かが誰かに何かを貸したという証明書であるということは、つまりお金とはその貸し借りの流れを記録するための物・・・つまり債権の記録ということになります。

 

そうすると「誰かが誰かに何かを貸した時」に初めてお金は生まれることになります。

ですよね?

「お金が債権の記録」であれば、誰かが貸すことでようやくスタートなんですから、誰も貸さなければお金は生まれようがありません。

 

サラッと書きましたが、これって凄いことなんですよ。

だって、それならお金を生み出すのに対価は必要ないことになるからです。

では、何が必要になるか?

 

実はそれは既に答えが出ています。

お金が債権の記録であるならば、お金を生み出すには「借りる人」…もっと言えば「借りて、しかもちゃんと返せる人」がいることが必要なのです。

 

これを国家財政に当てはめて考えてみると、とんでもない事実が導き出せます。

すなわち

 

・政府に貸し付ける形でお金を発行するのが日銀。

・政府は日銀からお金を借りて国内に配っている。

・その場合、政府が返済できる限り日銀はいくらでも貸せることになる。

・そして、日本政府は通貨発行権があるため返済能力に上限はない。

 

これらの要素を足し合わせると

 

「日本国家(政府+日銀)は、財政上の制約などなく、いくらでもお金を発行できる」

 

ということになります。

 

「んな、バカな」と思いますか??

思うかもしれませんね。

でも、それが事実なのです。

 

最初の方に私が書いた「お金の成り立ちに関する誤解が、国家の財政政策を誤らせる」というのは、正にこういうことなのです。

この恐るべき事実、つまり「日本が財政破綻するなどあり得ない」という事実を、池上さんが言うような商品貨幣論は覆い隠してしまうことが問題なのです。

 

この間違いを犯さないために、お金とは何か?という成り立ちを間違えてはならないのです。

 

 

あ、ちなみにこの場合でも一応制限はあります。

 

このブログでは何度も書いてますが、それはインフレ率です。

ハイパーインフレにより国民が貧困化するような事態にならない限り、いくらでも発行可能・・・という条件はあります。

インフレ率が国家の貨幣の発行目安になる訳です。

「国家の信用」などという抽象的な言葉ではなく、これなら分かりやすいですね(*´ω`*)

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆