Dive Into The World

話題のニュースがどんな意味を持つのかを分かりやすく解説。普通の人たちと専門家をつなげるようなブログを目指します。

日本の閉塞感の原因は「ダブル・バインド」にあり‼

f:id:Kogarasumaru:20180616211102j:plain

 

さて、今回は久々に書籍のレビュー記事です。

レビューするのは、施光恒著「本当に日本人は流されやすいのか」。

 

レビューを書く前に言っておきたいことはただ一つ。

 

この本、超おススメです!!!(笑)

 

いや、レビューが長くなると書くの忘れそうなんで、先に言っておかないとと思いまして^^;  でも、このブログで初めてこんな風にアマゾンへのリンクを貼るくらいおススメです。

本当に日本人は流されやすいのか (角川新書)

本当に日本人は流されやすいのか (角川新書)

 

 

じゃあ、どんな人にお勧めなんでしょうか。

 

ズバリ、日本的なものは何でも時代遅れで欧米のものこそ正しい。欧米流に改めるべし‼という論調に「なんだかよく分からないけどもやもやする感じ」「反論したいけどうまく反論できない」と一度でも思ったことがある人

 

です。

 

 

 ここでレビューしてしまうのが勿体ないくらい面白いのですが、そうも言ってられないので、この本のポイントを2つほど紹介します。ちょっと長くなりますがお付き合いいただけると幸いです。

 

まず著者は「日本人は同調主義的で権威に弱い。」「集団主義的で個性を重んじない」「周囲に流されやすい」と一般に思われている節があるが、本当にそうなのか?という疑問を提示します。

 

その反証のために著者は、ルース・ベネディクトが著した「菊と刀」という日本人研究の書物を取り上げます。

例えば、欧米は「罪の文化」、日本は「恥の文化」という言葉を聞いたことはないでしょうか?これはこの書物で導入された区分けなのですが、この恥の文化とは

 

もの良し悪しを判断するときに、他者の目や世評を基準とする外面的道徳が支配的な文化である。すなわち恥の文化とは、同調主義的で他律的な道徳観を有する文化

 

であると規定されています。

この規定を下地にして、「日本人は他人の目を気にして行動するから、誰も見てないところでは平気で悪いことをするんだ」と言われることもあります(同じ日本人がそんなことを言うのだから、おかしなものだと思いますが)。

 

多分ここで多くの人は「うーん、日本人は本当に人の目を気にするからな~。そうかもな~。」と思うのではないでしょうか。

 

でも、ちょっと待った。

そんな簡単なものじゃない。

ちょっと細かい話になるんですが、大事なことなのでちょっと我慢してお付き合いください(。-人-。) ゴメンネ

 

これを考えるときには「自分というものがどういう存在か」という自己観の違いが重要で、それが如実に表れているのが言語における欧米と日本の一人称の違いです。

 

欧米言語:

英語のI、Youのように、どのような時でも私は私、あなたはあなたであり、相手や周囲の状況とは無関係に自己が規定されている。

 

日本語:

自分のことが「 私、わし、小生、俺、お父さん」など、相手のことが「君、お前、貴様」など相手との関係性や周囲の状況によって変わる。

 

という違いあります。

つまり、日本語では他者との関係性を認識することがまずあって、それに応じて自己規定の方法が変わるのです。これを社会心理学的には「相互協調的自己観」と呼ぶそうです。

 

そして、この相互協調的自己観における道徳とは、どんな状況でも通用する原理・原則があるのではなく、その時々の人間関係や他者の気持ち、自分の社会的役割などを総合的に判断した上での個別具体的な道徳観になるとのこと。

 

ここまでであれば、「やっぱり日本人は人の目を気にして判断するんじゃないか」ということになりますが、それで話は終わりません。

実はこの「人の目」というのは、最初こそ文字通り人がどう思うかを気にするものであるものの、家庭、学校、友人、近隣の人たちと接触する中で徐々に様々な人の視点を獲得し、「一般化された他者の目」を獲得することに至る、というのです。

 

「お天道様が見てるよ」と昔言ってましたよね。あれです。

 

このお天道様こそが、社会で生活し成長する中で自分の中に醸成されていく「一般化された他者の目」であり、自己道徳観であり、自分の行動を律するもの。すなわち「自律性」なのです。

そういう自律性の象徴として「お天道様」があった訳ですが、いつの間にか迷信の一つみたいに捉えられて忘れ去られてしまいました。実はそれこそが自分で自分を律するという道徳観の象徴でもあったのです。

 

ここがまずこの本の第一のポイントです。

 

そして次のポイントは、そういう日本独特の相互協調的自己観というものが、無意識の世界でずっと私たちの中で息づいているにも関わらず、私たちの社会ではそれを否定し、欧米的な自己観である相互独立的自己観に基づいた考え方が大勢を占めてしまっていることです。

たとえば、教育の現場において言語的なメッセージとしては「自由に表現しなさい」「自分の意見を言いなさい」と言いつつ、家庭や学校で「やさしい素直な子」「人の気持ちによく気がつく子」こそがよい子であるという関係志向的なものが重要視されるような状況です。

 

この2つの全く異なる価値観を一人の人間が抱え込まざるを得ない矛盾した状況を、心理学ではダブル・バインドと呼ぶそうです。

そして、著者はこのダブル・バインドこそが今の日本社会に蔓延する疲弊感や閉塞感の根底にあるのではないかと言っています。

 

では、どうすれば良いのか?

それは是非本書をお読みいただきたいのですが(笑)、一つ言えるのはこのようなダブル・バインド状態は一刻も早く解消すべきだということ。そのためには私たちの無意識に眠る価値観をもう一度しっかり見つめ直し、それと矛盾しない自己観や社会の在り方を考えるべきということではないでしょうか。

 

 

 

闇雲に日本的なものを礼賛するわけでもなく、かと言って欧米的なものを全て受け入れるわけでもない。それぞれの違いをしっかりと理解しながら、日本という国に住む自分たちとしてはどうすれば良いのかを判断する、その一つの指針にこの本はきっとなると思います。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました