Dive Into The World

話題のニュースがどんな意味を持つのかを分かりやすく解説。普通の人たちと専門家をつなげるようなブログを目指します。

森永卓郎氏が斬る!平成の衰退の原因とは何か?

 モリタクこと森永卓郎。61歳。

その一風変わった言動や風貌から「オタク評論家」的な立場でメディアに出ることが多いですが、さすがに昔の経済産業省の官僚だっただけあって、経済評論に関してはやはり相当キレキレです。

そんな森永卓郎氏が平成最後の年ということで、この「平成」という時代の経済を振り返るインタビュー記事が掲載されていました。

 


インタビュー後半部分に関しては、正直あまり賛同できない部分も多いのですが、平成に入ってからこの30年間で日本経済がどれだけひどい目にあって来たか、またその原因については、かなり的確に評論されています。

記事が大分長いのでここで全て紹介することはできませんが、森永氏が述べていることの中で私が一番重要だと思うのはこれです。

 

平成の30年間で日本経済規模が世界に占める割合は3分の1にまで低下した。 

これは日本の経済成長率が他の国に比べ信じられないほど低かったためで、中国のような極端な成長を遂げた国とは違う普通の国のレベルで成長していれば、私達の所得は30年前の3倍になっていてもおかしくないということを意味します。

もちろん物価も上昇するのですから実質的な所得が単純に3倍に言えるかは別ですが、少なくとも今のような貧困化はなかったでしょう。

 

しかも恐ろしいことに、もし各国の「成長率」が今後も当面維持されると考えれば、日本経済の世界経済に占めるシェアは50年後には、約0.4%にまで激減します。

ちなみに、京都大学の藤井聡先生の研究によると、その頃の日本のGDPは、名目値で319兆円。今のおおよそ6割くらいの水準です。

つまり、皆さんの給料が、50年後には今からおおよそ4割くらい安くなります。

それは例えば、500万稼いでいる人は、300万円くらいの稼ぎになってしまうということです。

 

停滞の原因となったのは消費税

そしてこの成長率が停滞した原因の1つが消費税です。

消費税が導入されたのが平成元年。それが5%に増税されたのが1997年。それ以来日本人の実質賃金は150万円も下がっているのです。

日本という国で暮らしていると、みんなが少しずつ貧乏になっているのでその貧困化具合を実感することがあまりありません。

 

あれですよ。

同じ年代の友達でもしょっちゅう会っているとそんなに変わったように見えませんが、10年振りとかに会うと「えらい変わったな〜」と思うことありますよね。あれと同じです。

 

とは言え、実際には森永氏が言うように世界の他の国が成長しているに対して、日本だけがほとんど成長していないため、他の国に比べて貧困化が進んでいます。これは紛れもない事実です。しかも、このような状態で今年の10月には消費増税を実施しようとしている・・・・狂気の沙汰としか言いようがありません。

安倍政権が消費増税を実施するか延期するかの判断まで、まだわずかですが時間があります。その間に一人でも多くの人が消費増税に反対する意思を示すことが、この平成の惨事を繰り返さないことへの大事な一歩になります。

別にデモ行進しろとか、知り合いの議員に掛け合えとか、そんなことまでする必要はありません。SNSに投稿するでも、シェアするでも、イイねするでも何でも良い。自分が手の届く範囲で何かをやらなければ、このまま貧困化することを止めることはできない。

一人でも多くの人が何か一つでも行動を起こしてくれることを祈りつつ、私にもできることを探して行きたいと思います。

 

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

移民問題について考える時に知っておくべきこと

 昨年の国会で移民受け入れを拡大するための法律「出入国管理法改正案」が可決されました。その時の国会審議もそうですし、その後のメディアに出てくる議論の多くが

 

「外国人労働者(=移民)の受け入れ体制が整っていない」

 

ということを問題視するものです。しかし、ちょっと待って欲しい。その前に憂慮すべきものがあるのではないでしょうか?

 

まずは移民が増加した地域の実態を知ることが先決ではないか?

最近は「移民反対」「外国人労働者受け入れ反対」というと、それだけで外国人差別、人種差別だと疑われそうな空気が強くなっています。それは恐らく「差別をする人」というと、何の根拠もなく自分と違う人を排除しようとする「感情的な人間」で、理性に基づいた合理的な判断ができる現代的な人ではない、というイメージがつきまとっているからではないでしょうか。

 

確かに特定の人たちを何の言われもない思い込みで、一方的に排除したり、劣悪な環境に追い込んだりするのは差別主義だと言われても仕方がないかもしれません。しかし、そのような差別と、

 

差別的かどうかというようなイメージで判断する前に、まずは実際に外国人が多数派になってしまった地域の実態を知ることが必要なのではないでしょうか。

 

中国人住民が過半数となった団地の実態

国会議員や地方議員などへの政策アドバイザーを務める室伏謙一という方が、とある団地の取材レポートを記事にされています。

場所は埼玉県川口市のUR川口芝園団地。中国人の住民が半数以上を占め、かつては「チャイナ団地」と揶揄された場所です。

 

 

もともとは1970年代に全国で建設された団地で、当時は庶民の憧れの団地だったそうです。しかし、そこで育った子どもたちが都会へ出ていったり、親世代は養護施設へ移ったりなどした影響で過疎化が進行。1990年代後半にはだいぶ空き部屋が増えてしまっていたようです。

その代わりに中国人の労働者が居住し始めました。当初は割合も少なくそれほど大きな問題はなかったそうなのですが、2000年代に入り中国人が過半数を超える頃には日本人の住民とトラブルが増加するようになりました。

 

詳しくは記事をご覧頂きたいのですが、一部抜粋しますと「具体的には、ゴミを部屋の窓から投げ捨てる、階段の踊り場で大便や小便をする、ゴミ捨て場に分別を無視してゴミを捨てる、粗大ゴミを置いていく、団地内の広場で夜中に爆竹を鳴らし、注意に来た日本人住人に暴力を振るう等」の行為が行われるようになったとのことです。

 

日本人的にはちょっと考えられない行為ですが、私も中国に毎年行っている経験から考えて、「ま、そうなるわな」という気がします。中国は確かにここ10年ほどすごい勢いで都市化が進んでいますが、それは本当に都心部だけの話。その都心部でも一本裏通りに入ると、「え? さっきの高層ビル街はハリボテだったのか??」と思うほど悲惨な状態なのは相変わらずです。

ちなみに、立派なオフィスビルやホテルでも「入り口はすごい豪華だけど、地下に入った途端・・・」なんてことは当たり前です。「見える所だけきれいにしておけば、裏はどうなっててもOK!」。これが中国スタンダードです。

 

文化や生活習慣の違いを認識することは差別とは違う。

ただ、勘違いして頂きたくないのは、記事の中で室伏氏も述べていますが「だから中国人が悪い」という単純な話ではない、ということです。日本には日本の常識があるように、中国には中国の常識がある。その常識が食い違っている、ただそれだけの話なのです。どちらが正しくて、どちらかが悪だとかいうことが言いたいのではないのです。

 

しかし、「常識が違っているだけ」と言いましたが、それを乗り越えることは容易なことではありません。みなさんも聞いたことがあるかもしれませんが、笑い話で

 

「昔々、日本を訪れた中国人が瀬戸内海を見た時に、『日本には川がないと聞いていたが、立派な川があるじゃないか』と言った」

 

という話があります。

まぁ、それは多分作り話だと思いますが、この話で興味深いのは同じ「川」という言葉でも、日本人と中国人では捉え方が全く違うということです。

 

そして言葉が違うということは、そもそも世界の捉え方が違うということを意味し、世界の捉え方が違えば、当然文化や社会のルール、そして価値観も変わってきます。私達が「きれい」と思う物がきれいだと思われるとは限りません。

また、それと同じように外国人が「楽しい」と思うことを、私達は「うるさい」と思うかもしれない。

 

人手不足解消のために「外国人労働者を呼び寄せる」と言いますが、「外国人労働者」と一言で言っても、彼らにも独特の文化やがあり、それは千差万別です。そのような人たちと同じ場所に、同じルールで住め! と言っても、そんなに簡単に行くわけがないのです。

 

そのような違いを認識することは差別でもなんでもありません。

むしろそのような違いがあるからこそ、世界には多様な文化や生き方があり、これだけ世界は広くなっているのです。

 

移民問題を考える時は自分の生活に置き換えて考えてみよう。

ちなみに、私には中国人の友人がいます。また、仕事上で付き合いのある中国人もいます。彼ら個人個人はとても頭も良く、とても優しい紳士な方が多いのも事実です。ですが、やはり仕事上の付き合いや友人付き合いでうまく行っていたとしても、同じ共同体で生活するとなれば話は別です。

 

「移民受け入れはやめた方が良い」なんて言うと、人種差別とか排外主義だとか言われそうで、なかなか他の人に面と向かって言うことは難しいかもしれません。しかし、

移民政策とは「移民反対なんて言ったら人種差別とか排外主義とか言われるんじゃないか」とかそういう抽象的なイメージで考えるべきではありません。なぜなら、上記で紹介した記事のように私達の生活に直結する問題だからです。

 

海外からやってくる人たちはロボットではありません。自分や家族の人生を背負ってやってくる”人間”が実際にあなたの近くで生活する。しかもその人達は、私達が当たり前と思っているルールが通じない独自のルールで生きている人たちです。

その上、言語も違うのですからコミュニケーションも取れません。勉強して日常生活に支障がないレベルで日本語を話せるようになったとしても、”円滑にコミュニケーションを取れる”レベルとは全然違います。

 

そして彼らは彼らでコミュニティを作り、私達のコミュニティとは違うルールで生きていく。 これから何十年もです。

 

そのような異質なコミュニティがあちこちに存在する日本で暮らしていくことが、本当に自分たちの幸せになるのか?

差別主義だとか排外主義だとか、そういう抽象的なイメージではなく、ちゃんと自分の人生の問題として考えなくてはならない問題ではないかと思うのです。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

厚労省不正統計。原因と目的に潜む闇が次々と明るみに。

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最近にわかに注目を集めている、厚労省の賃金統計の不正問題。

一言に「賃金統計不正問題」ということになっていますが、これは実は2つの大きな問題に分かれています。

 

全数検査するはずが抜き取り検査しかしてませんでしたww問題

1つは以前にもこのブログで取り上げたように、従業員が500人以上の大規模企業においては賃金を本当は全数検査しなくてはならなかったところを、抜き取り検査しかしていなかったこと。しかも、まるで全数検査しているように見えるような不正プログラムまでわざわざ作った上で、です。

詳しくは下記の記事をご覧ください。

 

で、もう一つはこちら。

 

賃金が高い企業を選んで賃金が回復してるように見せてましたww問題

実はこの問題自体は去年の夏頃に西日本新聞がすっぱ抜いていて、ちょっとした騒ぎになっていました。

どういうことかと言いますと、厚労省は2018年1月以降調査対象となる企業を入れ替え、結果的に賃金が対前年比で高く出るようにしていたのです。

それまではサンプルを全数入れ替えていたのですが、一部入れ替え対前年比の「対象」が異なるわけなんで、正しい数値など出てきません。そもそも対象が違うものを比べて「対前年比」とか意味不明ですよね。

 

 

ただ、ぶっちゃけた話をすると、統計サンプルを入れ替えたこと自体はそれほど問題ではありません。問題は変えたこと自体ではなく、”こっそり変えたこと”です。何も後ろめたいことがなければ「これこれ、こういう事情で、このように統計サンプルを変えましたよ」と言えば良いのです。

ところが、実際には”こっそり変えた”。

そして、その結果、「従業員に支払われる現金給与総額の前年比増加率が大きすぎる状態が続いた」(記事引用)という訳です。

 

問題は「誰が」「何のために」指示したのか?

世間で騒がれている通り賃金統計は日本国民の生活を調査するための大事な統計の一つです。そんな統計を一人とか二人とかの少人数で画策して実現できるわけがありません。従業員が数人しかいない町工場じゃないんですから。組織的に行われていたのは間違いありません。

問題は、じゃあそのような統計操作を「誰が」「何のために」行ったのか?

 

その「誰が指示したのか?」を朝日新聞がスッパ抜きました。 

 

 なんと

2015年11月の経済財政諮問会議で閣僚らが変更を促していたことがわかった。「統計の司令塔」である統計委員会も指摘を重視し、見直し議論を翌月開始。調査手法はその後、賃金指数の下ぶれを防ぐ方向に変えられた。

というのです。 

何と閣僚自らが統計手法の変更を要請していたというのです!!

お・・・恐るべし!!

※ちなみに安倍首相は2月18日の国会で「私から何ら指示をしていない。我々が統計をいじって政策をよく見せようとしたわけでは全くない」と述べたそうです。本当かどうかはかなり怪しいですが。

 

何のための統計手法変更だったのか?

では、なぜそのような統計手法の変更を行ったのでしょうか?

実は従来のサンプルのとり方の場合、賃金が上昇傾向に補正されてしまうという問題がありました。なぜなら、それだと業績が悪化し倒産した企業が外され、競争力のあり業績の良い企業だけが残るということになってしまうからです。

ですから、当然過剰な反応が出ないようにある程度現実を元にした補正をしなければなりません。しかし、

その結果、2012年〜2015年の間の賃金が、2011年の民主党時代よりも下がっているということが判明してしまった訳です。

 

それはマズイ!!!と慌てた閣僚(麻生財政大臣、甘利経済再生担当大臣)、黒田日銀総裁が

 

「そんな結果が出るのは統計方法に誤りがあるのだ!! 変更しろ!!!」

 

と統計方法の変更を迫ったわけです。

そして、厚労省はそのような閣僚の要請のもと、2018年1月から統計方法を変更しました。そして、実際は2011年に比べて賃金指数が下がっているにも関わらず、「賃金指数は安倍政権になってから上がりました」ということになってしまっているのです。

 

安倍政権になってから有効求人倍率が上がっていることを取り上げて、景気は回復しているという人たちがいます。しかし、有効求人倍率が上がっているのは単純に生産年齢人口が少なくなっているからです。別に安倍政権の経済政策のお陰でもなんでもありません。

有効求人倍率が上がろうが何だろうが、国民の賃金が下がっている・・・つまり国民が貧困化しているのであれば何も意味がないのです。

 

それにも関わらず、アベノミクスの効果を粉飾したところで一体何になると言うのでしょうか?

私はデータは所詮データ・・・つまり数値でしかないと思います。結局その数値にどんな意味を持たせるかは、それを使う人達によるのです。そうであればこそ、その数値を使う人達には誠実さが求められます。自分たち都合の良い結果が出るような不正を行う人達に数値の管理を任せるわけにはいかないのです。

安倍首相自身がそのことを指示したかどうかはわかりません。ただ、黒田日銀総裁や麻生財務大臣、甘利経済再生担当大臣などの閣僚級の人間がこのことを知っていたのは間違いない。そのような部下たちの言動を把握できない人間に果たして一国の首相が務まるのか。甚だ疑問に思う大事件ではないかと思うのです。

 

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

フランスの学校では両親を「パパ、ママ」と呼ぶのは違法になった

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なぜか日本には「フランス」「パリ」と言うと、それだけで「オシャレ」「自由」「先進的」というイメージがあります。

しかし、最近は町中でテロが起こったり、黄色いベスト運動というデモが起こったり、有名な凱旋門の通りでは浮浪者が群れをなしていたりと、色々な意味で危険な雰囲気が漂っています。

 

そんなフランスでどうもとんでもない法律が可決されたようです。

 

学校で両親を「パパ」「ママ」と呼ぶな???

何とLGBTなどの同性婚の家族の人権に配慮して、学校で両親を「パパ」「ママ」と呼ぶことが禁止され、「親1」「親2」と呼ぶことになったそうです。

お・・・恐るべし、フランス!!

 

実を言うと私の周りにもLGBTの人がいます。

その人たちは特に周りに隠していませんし(少なくとも近しい間柄では)、私もそれをどうこう言うつもりは全くありません。「ま、そういう人もいるでしょう」という感覚ですし、それを隠してビクビク生きるよりは、ある意味公然とというか自然と振る舞えるような社会の方が健全ではないかと思うくらいです。

 

ただ、です。

ただ、ですよ。

だからと言って、同性婚の人権に配慮して「親1」「親2」と呼べというのはいかがなものかと・・・。そのような「自分たちの権利を守るために、人の習慣をも法律で変える」というような強制的な力の行使を、当のLGBTの方々は喜ぶのでしょうか?

彼らこそが特定の習慣や信条に基づいた法律で苦しんできた人たちであるのに、それを他の人に強要する・・・そんな事を望むのかどうかがちょっと信じられません。

 

人権という爆弾

18世紀の思想家にエドマンド・バークという人物がいます。

フランス革命が起こった直後からそれを批判し、この革命は社会の混乱を招いて軍事独裁国家という形で終わると予想し、フランス革命が「ナポレオン体制という軍事独裁国家」に行き着くことを早い段階から予想した人物です。

彼はその著書「フランス革命の省察」の中でこのように言っています。

 

「(フランス革命を支持するイギリス人たちに対して)彼らは古来の伝統や、過去の議会による決議、憲章、法律のことごとくを、一気に吹き飛ばす爆弾まで持っている。

この爆弾は「人権」と呼ばれる。長年の慣習に基づく権利や取り決めなど、人権の前にはすべて無効となる。人権は加減を知らず、妥協を受け付けない。人権の名のもとになされる要求を少しでも拒んだら、インチキで不正だということにされてしまうのだ。」

(佐藤健志訳・「フランス革命の省察」より)

 

今回のフランスの法律はまさにエドマンド・バークの言う「人権という爆弾」によって、長年の慣習や基づく権利や取り決めなどを吹き飛ばす法律ではないでしょうか。

たしかに「政治的」には正しいのかもしれない。でも、人間は必ずしもそのような「政治的な正しさ」だけで生きている訳ではありません。しかも「親1」「親2」などという呼び方を変えたところで、実態は何も変わりません。むしろ、そのような呼び方を強制されることで、国民を分断する楔を打ち込むことだけになるのではないでしょうか。

 

「人権」という印籠を持ち出せばどんな横暴も許される・・・そんな「人権圧力」の恐ろしさを感じたフランス政治の一幕でありました。 

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

自由を主張する人達に規律の大切さを分かってもらうには?

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さて、先日の投稿でも書きましたが、今NHKの100分de名著という番組で、20世紀のスペインの哲学者、オルテガ・イ・ガセットの「大衆の反逆」という本が取り上げられています。

20世紀前半に書かれた本ですが、現在の日本や世界の情勢にも通じる部分が非常に多く、とても示唆に富んだ本ですので、是非一人でも多くの方に読んで頂きたいと思っています。

 

実は私、この本自体のレビューは以前にも投稿しました。

 

ただ、折角この番組によってより分かりやすく解説がされていますし、私の当時のレビューもまだ全体をうまくまとめきれてなかったな〜と思うところがあるので、番組に乗っかる形で(笑)もう一度丁寧にこの本の魅力をお届けできたら、と思います。

 

前回のおさらい。専門家こそが大衆である。

まずは前回のおさらいですが 

著者のオルテガは「大衆」を毛嫌いしていますが、それはいわゆる世間一般で言われるような「富裕層か、一般大衆か」みたいな階級社会のことを言っているのではありません。オルテガの言う「大衆」とはそのような階級や社会的地位とは関係なく、自分の意見を持たずに周りの意見に流される人、しかも”みんなと同じであることを気持ち良い”と思う人達のことを言っています。

ですから、いわゆる富裕層やエリート層の中にも大衆はいる、ということになります。

 

そして、科学者などの「専門家」こそがそのような大衆の原型であり、大衆の悪い部分が凝縮されているとオルテガは言います。

なぜなら、専門家はその専門性が高いほど自分の分野以外の知識や見識が浅くなる。それにも関わらず「自分は専門家だ」という自負によって、それ以外の人たちの言うことを聞かずに、自分の専門分野からだけ見た断片的な事実を、さもそれが真理であるかのうように主張する。

そして、自分の意見を持たない大衆は「専門家が言っていることだから・・・」といって、自分の頭で考えもせず専門家の言うなりに流されていくことをむしろ気持ち良いと思い、行動するようになる。

それこそが多数の意見に流される大衆を生み出し、社会を間違った方向に導くのだというのです。

 

自由を守りたいなら伝統を保守すべし

オルテガはこの「大衆の反逆」という名著のイメージが強すぎ、しかもよくその内容を理解していない人から「オルテガは大衆を見下している。エリート主義者だ。」などというあらぬレッテル貼りをされます。

また、発言の端々を拾うといわゆる「伝統を大事にするべし」というような発言が目立つことから、「保守派の論客」と見られがちです。その上、その時の「保守派」というのは、伝統を守るためには個人の自由は制限するべしというような”古臭い頑固親父”的なイメージで語られます。

しかし、それはオルテガには全然当てはまりません。

 

オルテガは確かに、礼節や規範、手続きといった物を非常に重要視します。

しかし、オルテガがその重要性を解くのは、あくまで”人々の自由を守るために必要だから”なのです。

 

一般的なイメージでは「保守」と「自由」というのは対立概念のように思われがちです。ですが、それは勘違い以外の何者でもありません。

オルテガは次のように言います。

 

「手続き、規範、礼節、非直接的方法、正義、理性! これらは何のために発明され、何のためにこれほど面倒なものが創造されたのだろうか。それらは結局<文明 (Civilizations)>というただ一語につきるのであり、文明は<キビス (Cilvil)>つまり市民という概念の中に、もともとの意味を明らかに示している。これらすべてによって、都市、共同体、共同生活を可能にしようとするのである。(中略) 文明とはなによりもまず、共同生活への意思である。」

 

 ちょっと噛み砕いて言いますと、いくら自由だと言ってもみんながみんな「自分の自由」を追求していけば、必ず衝突が起こります。家族や会社でもそうですよね。いくら個人の自由だと言っても、自分が起きたい時に起き、食べたい時に食べ、その始末もしない。誰に迷惑掛けても知ったこっちゃない・・・そんな態度では周りの人達と共存することは不可能です。

社会の中で共存していくためには、どうしても「自由」を制限するためのルールが必要になるのです。逆に言えば、そのようなルールを守っている限りその人の自由は最大限に尊重されるべきです。では、そのようなルールをどのように決定するのか?

そのようなルールづくりにおいて重要なるのが、今まで積み重ねられてきた人間の歴史や文化、伝統である。だから自分と異なる他社と共存するという「文明」を大事にするのであれば、自分や共同体の自由を守るためにもそれら規律、礼節を大事にしなくてはならない・・・オルテガはそのように述べるのです。

 

大衆とはそのような規律や礼節をすっ飛ばす。

オルテガによると、そのような規律や礼節によって共同体の自由を守ろうとせず、むしろそれらをすっ飛ばして「トップダウンで決める!」とやっていくのを支持するのが大衆です。規律や規範、礼節を守って自分や周りの自由を尊重しながら、丁寧な議論を重ねていく・・・本来それこそが「民主主義」のあるべき姿ですが、「そんな悠長なことをやっている場合ではない! さっさと決めて行動する! そうしないと世界に置いていかれるぞ!」と、まるでどこかの国みたいに”勢い”や”雰囲気”だけで物事を決めようとする姿勢。

そのような姿勢がみんなの自由を妨げ、結果的に独裁を生むのだ、とオルテガは述べます。

 

まるで現在の安倍首相を筆頭にした自民党の民意を無視したゴリ押し政策を批判しているようで、とってもこれが前世紀に書かれた書だとは思えません。

 

大衆にならないためにはどうすれば良いのか?

では、そのような大衆にならないためにはどうすれば良いのか?

オルテガはまず「大衆」へのアンチテーゼとして「貴族(エリート)」という概念を持ち出します。もちろん大衆が社会的地位や階級を意味しなかったように、オルテガはこの「貴族」も社会的地位や階級の意味で言っているのではありません。

オルテガは「自分の考えをしっかり持ち、周りの意見にも耳を傾け、その中で他者と共存する道を探るために自分の役割を果たそうと努力している人」のことを(精神的な)貴族と呼んでいます。

つまり、いわゆる「一般庶民」の中にも、そのような精神があればその人は立派な貴族なのだと。

 

真理への王手をかける努力こそが貴族である

ただ、このような「貴族」であり続けることというのは、非常に難しいものです。

自分の考えのみとらわれず、広く他者の意見に耳を傾け、自分の役割を果たすために日々努力を重ねる・・・言葉で言えば簡単ですが、これを生涯続けるということは非常な困難を伴います。どこかで「もうこれで良いんじゃないか。」とつい思ってしまうのが人間です。

 

例えば、私もですが、一つの事象に対して世間一般の多くの人と同じ答えを導き出せれば、それが「正しい」ことなのだと安心してしまいます。確かに数学とかに関しては、そのような固定された一つの答えがあるかもしれません。ですが、人と人が絡み合う社会においてはそのような「固定された一つの答え」は存在しません。一人の人間では理解しきれない、様々な要因が複雑に絡みあって発生している訳です。

だから、間違いやすく、有限的な存在である人間には「正しさを所有すること」はできない・・・とオルテガは言います。

 

しかし、だからこそ、その正しさを求めて日々努力する、決して「答え」が見つからなくても、一歩一歩前進する努力を怠らない。そのような精神のあり方を持つ者こそが貴族であり、他者と共存する道を探ることができるのだと。

それをオルテガ風に表現すると「思想とは真理に対する王手である」ということになります。つまり、正しいことを掴みとることはできない、人間にできるのはそのような正しさを追求し、常に「真理」に王手を掛け続けることだけだ、と。

 

人生は面倒くさい。

人の気持ちや立場を考えながら、自分の行動をコントロールするのも疲れる。

自分が好きなことだけやっていたらいけないのか?

そう考える時は私もあります。

でも、それはヒトという生き物が「人と人との間で生きる”人間”」として生きる道を否定し、ひいては自分という存在の自由を成立させている社会をも打ち壊すことになる。だからこそ、人間として生きていきたいのであれば、面倒臭くても、答えが見つからなくても、規範や規律を大事にして人と共存していく道を探っていくしかない。

そのような人としての生き方を、オルテガの「大衆の反逆」は教えてくれるような気がします。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

消費増税が国民を貧困化させるという決定的データが出た

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先日とあるニュース番組を見ていたところ、今開かれている国会で共産党の志位氏が安倍政権の”実績”の嘘を暴く決定的なグラフを提出していました。

 

2014年の消費増税で国民は年間25万円も貧乏になった 

共産党が国会で提出したデータによると、2人以上の世帯の年間の実質消費が

 

2013年平均: 363.3万円

2018年平均: 338.7万円 

 

なんと世帯当たり約25万円使えるお金が減ったのです!

 

「いざなぎ景気超えの景気拡大」などと言っておきながら、国民の消費は25万円も減ってしまっている。それが実情なのです。

たしかに”国全体”で見れば景気拡大少なくとも景気が縮小していない状況ではあるのでしょう。しかし、例えばどれだけ民間企業が儲けてもそれが社員に還元されなければ意味がありません。

「景気拡大」と「国民生活の改善」はイコールではない、それがはっきりしたのです。

 

しかし、そもそも国家の役割とは何でしょうか?

国全体の景気拡大でしょうか?

それとも国民生活の向上でしょうか?

言わずもがな、国民生活の向上に決まっています。

当たり前ですが、国民こそが国の根幹だからです。土地やお金がどれだけあっても、そこに人がいなければ何の意味もありません。

 

このような状況で消費増税をするなどあり得ない。

2014年の消費増税の際には、日本のトップレベルとも言える人たちが「消費増税しても経済への影響は少ない」と言っていました。

 

慶應義塾大学 経済学部 土居丈朗教授

「消費税率を上げても大きく景気が悪くなるということはない。」

 

東京大学大学院経済学研究科 伊藤隆敏教授

「引き上げても景気の腰折れやデフレ脱却の失敗につながることはない。」

 

東京大学大学院経済学研究科 吉川洋教授

「消費税率は予定通り引き上げるべき。日本経済の成長プロセスはかなり底堅いとみている。」

 

まさしく”経済学の大家”と言える人間が揃いも揃ってこのような妄言を述べていたわけですが、結果は見ての通り

 

なんと世帯当たり約25万円使えるお金が減ったのです!

 

これが歴然たる事実なのです。

 

ちなみに、さらに言えば京都大学 藤井聡教授が「10%消費税が日本経済を破壊する」という本の中で提出したデータによれば、1997年の3%→5%の消費増税以来で考えると、1世帯当たりの平均所得は何と130万円も減少したと言います。

 

将来世代へのツケを減らすならなおさら増税してはいけない。

消費増税を支持する人たちの中には、「今増税をすることで将来世代へのツケを減らす必要がある」という人たちがいますが、これも完全に間違いです。

国家の税収とは私達国民が生み出した付加価値の合計であるGDPが源泉になっています。ですから、今まで見てきたような国民が貧困化するような状況では、GDPが上昇するはずがありません。したがって税収が伸びるはずもありません。

「将来世代へのツケが〜〜」というのであれば、むしろ国民の消費を伸ばして経済がより円滑に回るように「減税」しなければならない、というのが真実なのです。

 

消費増税は延期もしくは凍結できる

現在の報道では今年10月に消費増税が行われるのは確定、というような雰囲気になっていますが、それは違います。安倍政権は2019年度予算成立後に判断する、とはっきり言っています。つまり、まだ確定はしていないのです。

「将来世代へのツケ」とか「国の赤字体質が」とかいう前に、自分たちの生活を守るためにも消費増税は絶対に回避しなければならない、ということを一人でも多くの人が共有する必要があるのです。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

EUはそろそろ「ブレグジット後」を考えるべき

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先週EUのトゥスク大統領がこのような発言をしたことが、海外メディアで物議を醸しているそうです。

その発言とは

 

「ブレグジット(イギリスの欧州連合離脱)をどのように安全に進めるか、実施方法を何も計画をせずに推進した人たち」には「地獄に特等席が用意されている」

 

というもの。

そりゃ・・・・炎上しますわww

やるな! トゥスク大統領! 人が言えないようなことをズバッと言い切ってしまう!

そこにシビれる! あこがれるぅぅーーー!!

 

地獄の特等席とはまたすごい表現ですが、正直EUはもはやそんなことを言っている場合ではないのではないでしょうか。

3月末のブレグジットを控えイギリスに注目が集まっていますが、今日はちょっと”その先”を考えてみたいと思います。
 

ブレグジットの意味をトゥスク大統領は理解していない

確かにこのブレグジットによってイギリスは経済的に大変な混乱に陥るかもしれない。しかし、それは最悪のシナリオではない。なぜなら5年あるいは10年程度の経済的混乱があったからと言って、それでイギリスという国がなくなる訳ではない。そこにイギリス人がいる限り、イギリスという国家は継続して存在する。EU離脱を問う国民投票において問われたのはまさにそれです。
つまり
 
A. イギリスの伝統を受け継ぐ"イギリス人の国家"として存続する道を選ぶのか
B. それともただそこに住んでいるというだけの人々が経済的利益を得るための形だけの国家の道を選ぶのか
 
一体イギリスはどちらを選ぶのか?ということです。
 そして、ブレグジットという結果が示すのは、イギリス人は前者の"イギリスの伝統と精神"を受け継いだイギリス人として生きる道を選んだということです。
 
そのような自分たちの道は自分たちで切り開くことをイギリス人に「地獄を見ろ」などという捨て台詞を吐き捨てたところで何の意味もありません。そもそも経済的メリットとデメリットを比較考量して決めた訳ではないのですから、的外れもいいところです。
そんなことよりもEUは"ブレグジット後"の自分たちの心配をした方が良いでしょう。
 

ブレグジットの混乱は何だかんだ言ってすぐに収まる

というのは、イギリスのEU離脱投票以来、欧州情勢に関する国際社会の目は「ブレグジットが引き起こす影響」に集まって来ました。それはEU諸国内においても同じです。それはある意味、良きにつけ悪しきにつけ「イギリスのことを論じていれば、EUのことを論じている」ことになっていました。言い方は悪いかもしれませんが、イギリスがEU内に滞留する不満(ドイツ独り勝ち状態、大企業優先の政策、経済格差の拡大、移民問題など)の"はけ口"になってきたわけです。
ところが、イギリスがEUを離脱すればそのはけ口がいよいよ失くなります。
もちろん、しばらくは混乱が続くでしょうが、2〜3年かかるかもしれません。しかし、それも時間とともに落ち着くでしょう。
そもそも今のイギリスの問題はブレグジット後にどのような混乱が起こるのか予想がつかないことです。予想がつかないから不安になるし、憶測も飛び交い、混乱する。しかし、問題というのはそれが顕在化してしまえすれば、あとはそれに対して現実的に可能な対応策を考え、検討し実行するのみです。問題とは形が見えてしまいさえすれば、大部分が片付いたも同然なのです。それだけの底力と伝統がイギリスにはあるのです。
まぁ、アジアの片隅に2000年以上の歴史がありなが、デフレという顕在化した問題を20年以上も放置し続けている国がありますが…。どことは言いませんけどね・・・。 ブレグジット後にEUを襲う悪夢さて、ではそのブレグジットにEUを襲う悪夢とは何か。それこそイギリスのEU離脱が示した国民主権の問題です。EUとは加盟国から主権を取り上げ、欧州議会とブリュッセルにいる官僚たちが決めたグローバルなルールに諸国が従うというシステムです。その主権とは政治的な意味でも、経済的な意味でも、です。 それがうまく機能している間は多少の不満があっても、「まぁ、多少不便があるけど、深刻な問題というほどてはないから良いか…」と表面化することはありませんでした。しかし、リーマンショックからの経済危機、大量の移民問題によってそんな悠長なことを言っていられる状況ではなくなった。イギリスのEU離脱はまさにその象徴だったのです。 その「主権を奪われたことによる不満」はイギリスというはけ口がなくなれば、別のはけ口を求めてさまようことになります。今後は政治的そして経済的な主権の回復を求めて欧州で様々な事象が発生するでしょう。っていうか、すでに発生してますね(笑)。フランスの黄色いベスト運動とか。そのような活動を押さえつける、あるいはコントロールする力のある国が、イギリスが抜けた今、どこにあるでしょうか?以前であればドイツの強力な発言権で何とか収めることができたかもしれませんが、今ではドイツの国内自体がそのような不満が鬱積している状況。当然フランスにもそんな力は残されていません。かつてウィーン体制でビスマルクが果たしたような”各国の調整役”を担える国家はもはやEUには存在しないのです。 ブレグジット後の混乱から日本を守る壁はすでに取り払われたイギリスがはけ口になっている現在はまだ良い。ですが、イギリスが抜けた後、その時こそ今まで表面化しなかったEUの抱える問題が次々と噴出し始めることは間違いないでしょう。そのような欧州と日欧EPAという自由貿易協定を結んだ我が国。日欧EPAの問題点についてはこちらの投稿でも書きましたが、「ワインが安くなった!チーズが安くなった!」とかそんなことで有難がっている場合ではないのです。
国家間の貿易が自由だということは、何か事が起こった時に”日本を守る壁もない”ということ。壁がないということは良い影響も、悪い影響もどちらも易々と日本に訪れるということです。 
「自由」という言葉と引き換えに日本が失った代償はあまりにも大きい・・・・そんな事態にならないことを、今はただ祈るのみです。 今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

なぜキャッシュレス化を進めるのか。その思惑とは?

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昨日NHKのニュース番組で、日本のキャッシュレス化の現状と今後の展望を語るコーナーがありました。昨年辺りからよく週刊誌やビジネス誌でも取り上げられるこの「キャッシュレス化」ですが、「消費増税分をポイント還元します!」などと言って日本政府自身が旗振り役となって進められています。

 

そこで今回は

 

・なぜ日本ではキャッシュレス化が進まないのか

・なぜキャッシュレス化を進めようとするのか

 

について書いてみたいと思います。

 

キャッシュレス先進国中国の実情

キャッシュレス化という言葉を聞くと私が最初に思いつくのは中国の実情です。

下記の投稿でも書いたのですが、今の中国は恐ろしいほどキャッシュレス化が進んでいます。

 

私は10年ほど前から年一回ほどのペースで中国へ行くのですが、本当に行く度にキャッシュレス化が進んで行って毎回驚いてしまいます。レストランやコンビニでの支払いはもちろん、友達とご飯を食べに行った時の”割り勘”もキャッシュレスなんですよね(誰かが代表してお店に支払いをして、他の人は割り勘分をその代表者の口座にLINEみたいなSNSで振り込む)。

今は日本でもLINE Payで同じようなことができるみたいですね。

 

今の中国では本当に現金を見なくなりました。本当に観光客とかしか現金使ってないんじゃないか?と思うくらいです。コンビニとかで現金出すと店員から露骨に嫌な顔されますからね・・・。

 

それにしても、なぜこれほどキャッシュレス化が中国で進んだのか?

それはある意味簡単な理由で「中国では現金が信用できないから」です。

キャッシュレス化が進む前の頃の中国は本当に偽札が大量に出回っていました。私自身も被害にあったことがあります。実例を挙げると、タクシー運転手にお金を払ったら「これ偽札だから駄目だよ」と言われ、お金を突き返され別の紙幣で支払う。そうすると実はタクシー運転手から突き返される時に”偽札にすり替えられて”、まんまと偽札を掴まされる・・・どこかのマジシャンみたいな見事な器用さですが、こんな事が平然と起こっていました。

 

なぜ日本ではキャッシュレス化が進まないのか?

このような中国の状況を考えれば、キャッシュレス化が進む理由は誰でも分かります。キャッシュレスであれば偽札を掴まされる危険性はないですからね。私でも中国に住んでいればそうするでしょう。

 

しかし、ここに日本でキャッシュレス化が進まない理由の一つが潜んでいます。

そう。日本では現金が安全だという考えが非常に根強いからです。中国のように偽札を掴まされることがないので現金を使うことに不安がありませんし、逆に目に見えない物の方は信用されないことがほとんどです。このように言うと「そんなこと言っているからデジタル社会の波に乗り遅れるんだ」という声が聞こえて来そうですが、そんなことはありません。

むしろ、日本という国では一定の合理性があります。なぜなら日本は自然災害大国だからです。

 

東日本大震災という未曾有の災害時だけでなく、昨年起こった北海道大地震でのブラックアウト(電源消失)、西日本を襲った台風や長雨で通信障害が発生し、オンライン上での取引ができなかったケースなどが多発しています。

そのような事態が発生した時、やはり強いのは現金ということになるのは否めません。逆に、日本という国でキャッシュレス化が極端に進めばどうなるか・・・・。災害時に苦しむ被害者をさらに追い込む事態が発生することは想像に難くありません。

 

なぜキャッシュレス化を進めようとするのか

では、なぜそのようなキャッシュレス化を日本政府が進めようとするのでしょうか?

私は個人的には現金志向が強いのでキャッシュレス化には慎重な立場です。ただ、この人手不足の日本において、キャッシュレス化によって民間企業が生産性の向上を図ろうという取り組みをすること自体を完全に否定するつもりもありません。

しかし、私が疑問を感じるのは、なぜ日本政府が推進する必要があるのか? という点です。

 

ズバリ言っても良いですか?

それは「社会の監視を強めたい」という日本政府の思惑と、「(個人情報という名の)ビッグデータを収集&活用でビジネスをしたい企業」の思惑がキャッシュレス化によって同時に実現できるから、です。

 

キャッシュレス化と言うと無駄を省き、利便性と効率性を高める素晴らしいアイデアと思われがちですが、昔からの言葉にあるように「タダほど高い物はありません」。

その利便性や効率性と交換に私達はある重要な資産を、政府や民間企業に売り渡しています。それは”個人情報”です。

 

たとえばキャッシュレス化によって必然的に依存度が高まるスマホですが、このスマホの中身・・・もっと言えばその先にあるiCloudのようなデータベースにはありとあらゆるの個人の情報が詰まっています。

年齢、性別、銀行口座、クレジットカード情報はもちろん

 

いつ、どこで何をしたのか?

今までどんな物を買ったのか?

どんな友人関係か?

どんな趣味嗜好を持っているのか?

 

まで、あらゆることが分かってしまいます。

そのような情報があれば、その人がどのような事を考え、どのような物を望んでいるのか? ということまで分かってしまいます。

 

もちろん個人の口座に侵入されてお金を引き出されるとか、そういう被害の恐ろしさもあります。しかし、個人情報を盗まれることの恐ろしさはそれだけではありません。盗まれること以上に"利用される恐ろしさ"があるのです。

たとえばAmazonなどのリコメンド(推奨)。

 

自分の購入履歴や閲覧履歴から個人の嗜好を推測して商品をお勧めしてくれる便利機能です。しかし、これは自分がどのような嗜好の持ち主かを解析されていることの証です。もちろんそれを無視することもできますが、「この人はこのようなお勧めを無視した人」ということで、これまた個人の特性に関する情報を提供することになります。つまり、一回使い始めれば、そのプラットフォーム上でどのような行動をとってもビッグデータという個人情報の集積にロックインされてしまうのです。

 

 情報の戦略的価値の重要性

ちなみに、それを逆に利用すれば「特定の嗜好を持つ人に、ある特定の情報を流し続けることで、何かしらの行動や感情を引き起こしたりするように少しずつ誘導する」ということも可能です。

また大袈裟な…と思われるかもしれませんが事実です。

実際、一昨年ミュージカル映画の「LA LA LAND」や去年の「ボヘミアンラプソディー」などが流行したのも単に作品性だけではありません。メディアやSNSで「流行っている」「アカデミー賞授賞」「周りで観たい人が良いと言っている」というような空気に押されて実際映画館に足を運んだ人も多いのではないでしょうか?

 

それも一種の情報操作であり、そのような空気を作り出し、人を動かすことは実際に可能なのです。それが分かっているからこそ政府も企業も、莫大な費用をかけてもその情報が喉から手が出るほど欲しいのです。もちろんそれは自国民だけではありません。他の国の個人情報も同じことです。

 

今年に入ってから騒がれている中国企業”ファーウェイ”のバッグドア問題(スマホやタブレットに個人情報を抜き出す技術が仕込まれている問題)も、そのような個人情報の「戦略的価値」の重要性が高まっていることの表れです。

また、中国企業だけでなく、世界的に見てもGAFAのような巨大IT企業による強力な情報抽出能力に対して、個人情報を保護する側は全く対応できていない状況です。昨年EUで施行されたGDPR法案もその一つであり、個人情報保護の戦略的価値に対して国家がいよいよ真剣に防御策を講じる時代になってきたことの表れでしょう。

 

そのような情勢において”デジタル後進国である日本”が、キャッシュレス化を性急に進めて良いのでしょうか?

無駄を省き、利便性を高め、効率を最大化する・・・そのような耳障りの良い言葉の裏で、私達にとってある意味生命にも匹敵するような重要な「個人情報」が売買され、利用されようとしている。

そのことを今一度考え直す必要があるのではないか。少なくとも政府はそのような状況に対し、国民を守るという立場から何をなすべきかを真剣に考えるべきではないでしょうか。

 

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました😆

100分de名著でオルテガの「大衆の反逆」を読み返し!

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普段テレビ番組をあまり観ない私ですが、ちょこちょこ観ている番組があります。それがNHKの100分de名著という番組です。

100分de名著とは?

その名の通り歴史に残る名著を100分で解説する番組です。

25分番組を4回に分けて放送。週一回放送なので丁度1ヶ月で一冊ということになります。毎回その道のプロフェッショナルの学者さんが、パーソナリティの伊集院光さんとNHKのアナウンサーに本の内容を紹介する、という形です。

 

いわゆる歴史に残る名著ばかりなのでタイトルを観ただけで敬遠される方もいらっしゃるかもしれませんが、そこは伊集院光さんがしっかりカバー。

何も知らないド素人の体で、本当に初歩的なことを質問して、それに学者が答えていくというようなトーク番組的な型式で進んでいくので、とても分かりやすくなっています。時々アニメーションやフリップを使って説明するのも良いポイントです。

 

今週の名著はオルテガの『大衆の反逆』

今週のテーマは20世紀前半に活躍したスペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットの「大衆の反逆」です。

私も以前読んだことがあり、このブログでもその感想を書いたことがあります。しかも初投稿の時です。いきなりこんな本をぶっこんだのかwwやるな俺ww

 

何とか必死にまとめた記憶がありますが、まぁ難しいです。この本。でも面白い。読むのにすごく苦労しますけど、その価値が十分にある正に名著といえるでしょう。これほどの名著に出会えることは人生にそう何度もないので、是非いろんな方にお勧めしたいのですが、その前に一度この100de名著であらましを把握してから読むと理解がとてもスムーズに行くと思います。

 

オルテガは「大衆」を馬鹿にしたのではない

”もし読まなくても”注意して頂きたいのですが、この「大衆の反逆」というタイトルからエリート主義ばりばりの、大衆を馬鹿にしたような本だと思われがちです。実際にちゃんと読めば分かるはずですが、なぜかネット上の読書レビューを見てもそこを勘違いしている人が多いですね。

でも、それは全然違います。オルテガの定義では「大衆」とは特定の階級や社会的な地位とは関係なく、自分の意見を持たずに大勢にたやすく流されるような人間のことです。ですから、一般的に”エリート”というイメージをもたれやすい富裕層や支配者、官僚の階級にいたとしても、空気に流されやすく自分で考えることをしない人間は、それは大衆である、ということになります。 

 オルテガは「大衆」を忌み嫌ってはいますが、「庶民」は肯定的にとらえています。私も同じ意見ですが、長年の生活と伝統の中で蓄積してきた”知恵”と”守るべき伝統”を元に自分の行動を律することができる庶民は、人としてあるべき姿の一例だと思います。

 

「専門家」こそが大衆の原型

そして面白いのはオルテガは、このような「大衆」の原型を専門家・・・特に科学の専門家にあると言っているところです。

番組でも言っていたのですが、一般的なイメージでは「専門家」というのは知識が豊富な偉い人で、それこそ空気に流されず自分の信念に基づいて研究をする人、というイメージです。でも、オルテガは「そうではない。」というのです。どういうことでしょうか?

 

この世界で起こる事象はすべてとても複雑で多様な要素が組み合わさってできているものです。だからそれを観察する際には、そのような多様な要素との関連性に注目しながら総合的に判断していかなければならない。

しかし、専門家はその高度な専門性ゆえにそのような総合的な見地を失ってしまいます。オルテガはそのような専門家について「無知な知者」という呼び名を付けました。

普通は知者と言えば、より多くのことを知っている教養の高い人を指します。しかし、専門性が高くなり過ぎたがゆえに自分の専門のことは知っているが、専門外のことは全く知らないという無知な知者に成り下がりました。

そのような専門家の性質が少しずつ世間に広まっていく中で、大衆が生まれていった…それがオルテガが言う大衆の誕の過程です。

 

では、そのような「大衆」と呼ばれる人たちがどのように、何に反逆を起こしたというのか?

そしてそれは何を生み出したのか?

 

その辺りのことはこれからの番組に期待です。

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございます😊

 

 

誰にでもわかる。借金が1,100兆円を超えても日本は財政破綻しない。

相変わらず定期的に報じられる「国の借金◯◯兆円超え!」ニュース。今回はとうとう1,100兆円を超えたそうです。あ〜、そうですか。1,100兆円を超えて過去最大を更新したそうです。へ〜。 

 

財務省は、国債と借入金などを合計した国の借金が去年12月末の時点で1100兆5266億円と過去最大となったと発表しました。今年1月1日時点の人口で計算すると、国民一人当たりの借金はおよそ871万円となり、去年の同じ時期に比べて13万円増えました。

 何かもう記事を書く人も「国の借金が◯◯兆円。国民一人◯◯万円」というテンプレがあって、その数字を書き換えているだけなんじゃないかと思うくらい、"定型文"過ぎて笑えます。

ただ、笑い事じゃないのが笑えないところ(?)です。

 

なぜならこういう記事が定期的に出て、学者が騒ぎ立て、マスコミが報道するということを何度も繰り返すことで「日本の財政は危ないんだ。増税と支出の引き締めをしないと日本が破綻する!」という"間違った"認識が国民の間で共有されてしまうからです。

そして、この「日本は財政破綻する〜」という間違った認識が、今の日本の衰退をどんどん進めていっているのですから、しつこいようでもこの記事が出る度に一人でも多くの人が正しい意見を発信しなくてはなりません。

 

日本は財政破綻しない

これはもうちょっとネットで調べると、ものすごく大量な情報や説明が出てくると思いますが、日本が財政破綻するなどということは理論的にあり得ません。

色々な理由がありますが、究極的な理由は日本には「通貨発行権」があるからです。つまり日本は理論的にはいくらでもお金を発行することができるのです。

歴史的にも通貨発行権を持った国が財政破綻した事例はありません。当たり前です。

 

ただ、こういうと

ギリシャやアルゼンチンだって財政破綻したじゃないか」

「お金を発行しまくってハイパーインフレーションになったらどうするんだ?」

と言う方がいらっしゃいますので、それについても簡単に説明しておきます。

 

ギリシャだって財政破綻したから日本も財政破綻する?

かつてはギリシャやアルゼンチンも財政破綻しました。確かに国家が財政破綻する可能性自体はあります。ですが、それは借金が自国通貨ではない場合のみです。

ギリシャはユーロでの借金でした。そして、ギリシャにユーロの発行権はありません。

アルゼンチンはUSドルでの借金でした。そしてアルゼンチンにはUSドルの発行権はありません。

また、30代以上の方だと北海道の夕張市財政破綻したことを覚えている方もいらっしゃるかもしれませんが、夕張市も一地方自治体であり通貨発行権がなかったから破綻したのです。

 

しかし、日本の借金の場合は違います。

日本の借金というとまるで外国から借りているんじゃないかというイメージを持たれる方もいらっしゃるかもしれませんが、全然違います。日本の借金というのは、ほぼ100%日本国内から用立てられています。

また、その借金とやらも「日本円」での借金で、USドルとかユーロではありません。

だからもし「返済しろ」という話になったとしても日本円で払えば良いし、その日本円は政府がいくらでも発行できます。

そんな国が一体どうやったら財政破綻するというのか? 

 

「日本円ならいくらでも発行できるから借金し放題? そんなのズルいじゃないか!! 錬金術じゃないか!」と思われますか?

そうかもしれませんね。

でも通貨ってそういうもんなんですよ。

ズルいと思われようが何だろうが、そういうシステムとして成立していて法律的にも何も問題がないのです。

そうであれば、むしろそれを活用しない方がどうかしていると思いませんか?

 

ハイパーインフレーションなんて起こらない

次に 「お金を発行しまくってハイパーインフレーションになったらどうするんだ?」について。

まず物価には基本的に物価上昇が続くインフレと、物価下落が続くデフレの2種類しかありません。そして、今日本はデフレです。そんな状況の中、黒田日銀総裁が「異次元緩和」でお金を発行しまくりました。いくら発行されたかご存知ですか?

なんと350兆円です。350兆円もお金を発行したのです。

 

で、その結果、今どうなってますか?? ハイパーインフレーションとやらになりましたか? なってませんね。ちっとも、これっぽっちもなっていません。

ハイパーインフレどころかデフレ進行真っ最中です。それが現実です。

もしあなたの周りに「お金を発行しまくったらハイパーインフレーションになるよ」という人がいれば、「じゃあ、具体的にいくら発行したら、ハイパーインフレーションになるの?」と聞いてみてください。

絶対説明できませんよ。だってそんなことあり得ないのですから。

 

ただ、そうは言っても一つだけハイパーインフレーションになる可能性がある選択肢があります。

ハイパーインフレーション」という状態は、お金の価値がとてつもないスピードで下落し、逆にモノやサービスの価値がとてつもないスピードで上がった状態です。そのような状況では、お金はただの紙屑になります。

では、そのようなことが起こる状況とは何でしょうか?

ズバリ、戦争です。

相手がどこでも良いのですが(いや、戦争自体よくないのですが)、日本が戦争に巻き込まれ大都市に片っ端から核ミサイルでも打ち込まれて、政府機能が崩壊し、モノやサービスの生産能力が完全に破壊されたら、ハイパーインフレーションになる可能性はあります。

逆に言えば、そのような圧倒的な破壊活動により日本が壊滅寸前になるような状況にならなければ、ハイパーインフレーションになどなるはずがありません。

 

一番大事なのはメディアや学者を盲信しないこと

というわけで、日本の財政破綻などということが起こりえないことを説明してきました。

ただ、ここで書いたことは別に私の完全オリジナルでもなんでもありません。書店に行けばもっと詳しく専門的に論評をしている本がいくらでもあります。現代であればちゃんとインターネットなどで調べれば、もっと詳しく書いてあるサイトもあるでしょう。

ぜひ検索してみてください。

 

また、同じくらい「やっぱり日本は財政破綻する」と主張している本やサイトもあります。もし「これだけ日本は財政破綻するとメディアが言っているのに、それが嘘だなんて信じられない」というのであれば、そういう財政破綻肯定論を読んでみるのも良いかもしれません。

 

ただ、一番マズイのはメディアが言っているから、偉い学者さんが言っているから、といって自分では何も調べずに一方的な情報を盲信してしまうことです。どのような理論であっても最終的にはやはりそれを信じるか、信じないかはその人次第です。自分で判断するしかありません。

ですが、何も調べもせずに盲信するのは自分で考えることを止めて、自分の脳みそを人に預けるのと同じです。それはもはや宗教の世界です。

 

私が今回書いたことに納得しないのであれば、それはそれで構いません。ただ、そうであればちゃんと自分でも調べた上で、勉強した上で判断して欲しい。実際問題として、財政破綻するのが本当かどうかよりも、「財政破綻するとみんな信じている」という事実の方が影響力が大きいのです。だからこそ自分の目で観て、自分で考えて判断して欲しい。

今回の投稿がそのための一助になれば幸いです。

 

 

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございます😊